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「僕にとっては別物です」大谷翔平にとってWBCとは“世界一の原風景”であり、心の中の道標である「あのときのイチローさん、ほんとに…」
大谷翔平、WBCの原風景――。
2009年3月24日、日本の午後2時39分、第2回WBCの決勝で日本が韓国に勝って連覇を成し遂げた。舞台はロサンゼルスのドジャースタジアム。世界一を決めたのは延長10回、イチローがセンター前に打ち返した勝ち越しの2点タイムリーだった。そのとき、大谷は岩手に住む中学2年生。彼はWBCをテレビで観ていた。
「僕、あの日は練習してて、いつもなら夕方の5時くらいまでやるんだけど、決勝があるから早く上がって観ようか、みたいな感じで……確か、家で観てたかな。イチローさんの決勝タイムリーはすごく印象に残っています。あのときのイチローさん、本当にカッコいいなって純粋に思ってました。僕は高校ジャパンに選んでもらってレベルの高い中でやっているうちに、プロでやりたい、メジャーでやりたい、WBCの日本代表でもやってみたいという気持ちが次々に出てきたんです。目標にしてきたというより、憧れていたところへいつの間にか近づいていた、という感じだと思います」
その2009年、14歳の大谷は一関シニアのエースナンバーを背負っていた。当時の一関シニアは東北代表としてリトルシニア全国選抜大会への出場が決まっており、WBC決勝の4日後、3月28日に大阪の堺浜グラウンドで世田谷西シニアと戦うことになっていた。のちにこの大会で優勝することになる強豪チームとの初戦には、大谷の先発が予定されていた。
同じとき、岩手から花巻東高校が甲子園球場での春のセンバツに出場していた。こちらはWBCで日本が世界一になった翌3月25日、北海道の鵡川高校を5-0で破っている。花巻東のエースナンバーを背負っていたのは菊池雄星だった。彼はこの初戦で被安打2の完封勝ちを成し遂げている。奇しくも中学生の大谷と菊池を擁する花巻東が、ともに岩手から日本一を目指して同じ関西にいたのである。
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