#1122
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【2012.10.7】「バトンのタイヤを潰してやろう」小林可夢偉、原石がついに輝いた日本GP…ザウバーで「ミスやよほどの不運」に見舞われた末に

バトンとのバトルを制し、表彰式前には満員のスタンドから「可夢偉」コールが起こった
目を疑うような不運に見舞われた13年前のシーズン、それでも己のドライビングとチームを信じ続けた。ジェンソン・バトンの猛攻を冷静に抑えきり、母国グランプリで迎えた歓喜の瞬間を振り返る。(原題:日本人ドライバー表彰台の記憶[2012.10.7 日本GP]小林可夢偉「ついに輝いた原石」)

 2012年10月7日。小林可夢偉が3位表彰台に上がった。日本人F1ドライバーとしては、'04年アメリカGPでの佐藤琢磨以来、8年ぶりの快挙だった。

「初めての表彰台を鈴鹿で獲れて本当によかった。厳しいレースでした。展開次第では2位になれたかもしれない。でも、ジェンソン(・バトン)がとにかく速くて、抑えるのに精一杯でした」

 F1直下のGP2選手権時代から、ずっと可夢偉を見続けてきた。初めてのサーキットでも、2~3周しただけでいきなりトップに伍するタイムを叩き出す。レースではあくまで果敢に攻め、しかもほとんどミスを犯さない。そんな可夢偉に、磨けばどこまでも伸びてくれる「原石の可能性」を、筆者はずっと感じてきた。そしてついにこの日本GPで、今も記憶に残る輝きを見せてくれたのだった。

「ミスやよほどの不運がなければ、結果を出しますよ」

 この年はレッドブルのセバスチャン・ベッテル、フェラーリのフェルナンド・アロンソが激しくタイトル争いを繰り広げるシーズンだった。そこにルイス・ハミルトン、バトンを擁するマクラーレン、キミ・ライコネンのロータスが加わって、トップ4を形成していた。

 可夢偉の所属するザウバーは、典型的な中団チーム。上記4チームと互角に戦える実力など、本来はない。しかしエースドライバーに成長していた可夢偉が前年秋から積極的に開発に関わっていたこともあり、C31マシンは特定のサーキットや路面コンディションにハマると、とんでもない速さを見せた。たとえば第2戦マレーシアGPの2位、第7戦カナダGPの3位、そしてイタリアGPの2位表彰台など。

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photograph by AFLO

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