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【1990.10.21】「泣いてないよ、オレ」鈴木亜久里が語る日本GPの記憶…なぜアジア人初の表彰台に乗れたのか?「たまに特大ホームランが打てる(笑)」

あの日、鈴木亜久里が抜いたマシンは、ただの1台きりだった。
レースがスタートして6周目、前を行くロータスのデレック・ワーウィックを渾身の技術でかわす。白線をまたぐように車体を大きく外側に振り、第1コーナーで鋭くインを差したこのシーンは、1990年日本グランプリのハイライトの一つだ。
「当日のセッティングがうまくいって、車がすごく乗りやすかったね。ワーウィックは明らかに遅かったから、ムリしていった感じでもなかった。あれで6位に上がったわけだけど、まだ序盤でしょ。順位はまったく気にしてなかったね」
この年、亜久里はF1にフル参戦して2年目のシーズンだった。ザクスピードで戦った1年目は全戦予備予選落ちという辛酸を嘗めたが、ラルースに移籍した2年目は第8戦のイギリスGPと第14戦のスペインGPで共に6位に入賞していた。ただし、2強と呼ばれたマクラーレンやフェラーリ、それに次ぐウィリアムズやベネトン勢の速さは別格で、自国開催のGPを前に「できれば入賞したい」と語っていた亜久里だったが、それがどれほど難しいことであるかは本人が一番よくわかっていた。
「もうマシンの性能差は明らかでしたよ。だってうちはローラってところが作っている既製品で、エンジンも借り物。レースの戦略とかもなかった。行き当たりばったりで、当日のセットがどこまで当たるかってノリですよ。とにかく我慢して、何か起きるまで一生懸命乗るだけでした」
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