#1122
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【2004.6.20 アメリカGP】佐藤琢磨の3位表彰台は快挙だったのか…“逆境突破”のオーバーテイクとチームの後悔「私の判断ミスで琢磨のチャンスを…」

レース後、満面の笑みを見せた琢磨はチームスタッフやサポーター、さらには現場に来ていないホンダの栃木研究所の技術者にも感謝の気持ちを強調した
戦闘力は高いがマシントラブルも多かった'04年のB・A・Rホンダ。荒れたレース展開となり、チームの判断ミスもある中で、27歳の勇敢なドライバーは、逆境を自ら打破するような華麗なオーバーテイクと勝利への情熱を我々に見せてくれた。(原題:日本人ドライバー表彰台の記憶[2004.6.20 アメリカGP]佐藤琢磨「逆境突破のオーバーテイク」)

 抜けるように青いインディアナポリスの空の下、降り注ぐシャンパンシャワーがきらきらと輝いた。1位ミハエル・シューマッハー、2位ルーベンス・バリチェロ。フェラーリのふたりから祝福を受けるのは、F1で初めての表彰台に上がったB・A・Rホンダの佐藤琢磨、27歳。

 3位グリッドからスタートした琢磨であったが、波乱万丈のUSGPではそのままポジションを保って表彰台に上がったわけではなかった。

 スタート直後の多重衝突でセーフティカーがコースインした後、6周目に入ったところでコンペティションが再開した。しかし走行が順調に進んだのも束の間、9周目に入ったところで3位を走行していたフェルナンド・アロンソ(ルノー)が右リアタイヤのパンクチャーによってクラッシュ。直後の10周目にはラルフ・シューマッハー(ウィリアムズBMW)が、こちらもタイヤのパンクチャーによって高速の最終コーナーで挙動を乱して大事故に見舞われた。再び導入されたセーフティカーは18周終了時点まで隊列を率いることになり、背骨を負傷したラルフはこの後6戦を欠場することになった。

 2度目のセーフティカーでは先頭を行くフェラーリの2台をはじめ、大半のマシンがピットインした。ここで判断を誤ったのはB・A・R。“2ストップ作戦で燃料をたくさん搭載しているから”と、2台をステイアウトさせてしまったのだ。しかしクラッシュしたウィリアムズの破片が散乱するコースを琢磨は超低速で慎重に走るしかなく、ピットで給油とタイヤ交換を済ませたミハエル・シューマッハーの前に出ることすら叶わなかった。

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photograph by Mamoru Atsuta

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