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「ゴールの瞬間だけ、分が悪かった」エフフォーリアの“父仔3代ダービー2着”の物語「背中はクリスエスに似ている」【2021年の激闘を振り返る】

2025/05/24
エフフォーリア:2018年生まれ[父]エピファネイア[母]ケイティーズハート[生産]ノーザンファーム[馬主]キャロットファーム[調教師]鹿戸雄一(美浦)[通算成績]11戦6勝[主な勝鞍]'21有馬記念(GI)
走るたびに強さを増していき、皐月賞も難なく制した。単勝1.7倍の圧倒的1番人気で臨んだ大一番。確信しかけた勝利は最後の最後でするりと逃げていった。勝敗を分けたその刹那を、同馬と歩んだ調教師が振り返る。(原題:[父仔3代の惜敗]2021 エフフォーリア「ゴールの瞬間だけ、分が悪かった」)

 過去91回の日本ダービーで、1、2着が鼻差の決着となったことが10回あった。直近は2021年で、勝ったのはシャフリヤール。2着は、無敗の二冠制覇に王手をかけ、圧倒的1番人気に支持されていたエフフォーリアだった。同馬を管理した鹿戸雄一は、この惜敗をどう受け止めたのか。

 馬産地の門別(現日高町)で生まれ育った彼にとって、子供のころからダービーは特別なレースだった。

「一番よく覚えているのは、タケホープとハイセイコーの対決ですね。僕は小学5年生で、ジョッキーになりたいと言って、草競馬に出だしたころでした」

Kiichi Matsumoto
Kiichi Matsumoto

 1973年のそのダービーを制したのはタケホープで、大本命だった国民的ヒーローのハイセイコーは3着に敗れた。

 '84年に騎手になった鹿戸は、ダービーで騎乗することはなかったが、あと少しのところまでは来ていた。'90年、当時は3着まで出走権を得られた青葉賞に1番人気のバトルイニシャチブで臨むも、4着。翌'91年騎乗予定のブリザードは除外になった。

「なかなか出してもらえないものだな、とつくづく思いました。仲のよかった武豊君やノリちゃん(横山典弘)らが活躍していたので、同じ舞台に立ちたい、と、いつも思っていました」

「牧場で初めて見た1歳のときから…」

 遠かった「競馬の祭典」に、厩舎開業13年目の2020年、初めて管理馬を送り込むことができた。皐月賞で4着となり出走権を得たウインカーネリアンである。結果は、無敗で三冠を制すコントレイルの17着。

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