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【動画】「松坂さんは1球も首を振らなかった」西武・炭谷銀仁朗の今は“師匠”城島健司の存在があったから…プロ21年目の“捕手道”とは「キャッチャーは天職」《独占告白・前編》
今なお燦然と輝く偉業である。
2006年、当時高卒ルーキーだった西武・炭谷銀仁朗はシーズン開幕戦のオリックス戦でいきなりスタメンマスクをかぶっている。
そもそも高卒新人捕手の開幕一軍自体がNPBでは1989年・谷繁元信(大洋)以来17年ぶり。パ・リーグ高卒新人の開幕スタメンは1966年・飯田幸夫(近鉄)以来40年ぶりである。高卒新人捕手の開幕スタメンに限れば1955年・谷本稔(大映)以来、NPBでは実に51年ぶりの快挙だった。
平安高(現・龍谷大平安高)から高校生ドラフト1巡目で入団した大物ルーキーだったとはいえ、高校野球界とプロ野球界とではリード、キャッチングともに歴然たる差が存在する。
特に1年目はさぞかし苦労したのでは?

誰もが想像するイメージをぶつけると、今や38歳のベテラン捕手となった男は「意外とすんなりいけたような気がします」と当時を振り返り始めた。
今も忘れられない、松坂大輔と試合後に交わした言葉。
のちに炭谷の師匠となる城島健司(現・ソフトバンクチーフベースボールオフィサー)は高卒入団したダイエー時代、工藤公康ら先輩投手陣から時に厳しく叱責されながら、捕手のイロハを学んだ。高卒1年目から開幕1軍入りした大洋時代の谷繁にしても、若かりし頃は佐々木主浩のフォークを止められず、バッテリーを組むことを拒否された過去があった。彼らのような超一流捕手でさえ、一度はどん底を見てから這い上がっている。
それなのに、炭谷は1年目から相手打者との駆け引きが「楽しくて仕方がなかった」という。
当時の西武指揮官は現役時代にライオンズ黄金期を支えた名捕手、伊東勤である。かつてヤクルトの古田敦也がベンチ内で野村克也監督から小言を浴びせ続けられたように、炭谷もまた伊東監督の近くに座って配球の根拠を学ぶ日々が続いたそうだ。
それでも炭谷はのびのびと成長できた。それは周囲のサポートにも恵まれていたからに違いない。
炭谷が高卒1年目を迎えた2006年、西武には押しも押されもせぬ大エースが君臨していた。この年も17勝をあげ、翌シーズンから大リーグに戦場を移すことになる松坂大輔である。そんな7歳上の右腕は絶対的な存在でありながら、まだ18歳の自称“ガキ”に過ぎなかったルーキー捕手の心情にも寄り添える器の持ち主だった。
炭谷は初めて松坂とバッテリーを組んだ2006年開幕直後の会話を今も忘れられずにいる。

「あの日、松坂さんは僕のサインに1球も首を振らなかったんです。それで試合後……」
松坂だけではない。
西口文也、帆足和幸、涌井秀章ら先輩投手陣は皆、「金の卵」を温かく育てようとしてくれていた。
この動画では、ほかにも次のようなテーマについて語ってもらっています。
- 古田敦也派? 谷繁元信派?
- 伊東勤監督からの指導
- “師匠”城島健司との縁をつないだ意外な人物
- 「人間観察が大事」城島の姿勢に頷いた理由
- 身近な先輩投手、岸孝之や涌井秀章への思い
- 捕手は天職?「めちゃくちゃ楽しいです」
生き馬の目を抜くプロ野球界で21年目を戦う男の言葉には説得力があります。忖度なしの「銀仁朗節」の数々、ぜひご覧ください。(5月21日取材)
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