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「自分は絵を学んだこともない」ボクシング元世界王者・鬼塚勝也は、なぜ絵筆を持ち続けるのか?「今でも闘っているので」《ノンフィクション》

2025/02/17
'90年代に辰吉𠀋一郎、ピューマ渡久地とともに平成三羽烏と呼ばれ、世界を制した名ボクサーが、敗北をきっかけにして絵筆を手にした理由とは――。栄光と挫折、そして再生の物語に迫る。(原題:[ナンバーノンフィクション]鬼塚勝也「グローブを絵筆に持ち替えて」)

 九州最大の陸の玄関口、博多駅から北西に約1.5km。寺や商店が軒を連ね、伝統文化が息づく福岡市博多区中呉服町に、ひときわ目を引く黒を基調とした3階建てのビルがある。「SPANKY・K SACRED BOXING HALL(スパンキーK・セークリッド・ボクシングホール)」。1階にボクシングジムを構えるこの建物の外観は、重厚さを漂わせながらも内に秘めた熱気を感じさせる。

 階段を上り3階の扉を開けると、2つの部屋が現れる。このフロアは住居兼アトリエで、左の部屋にはこたつとソファが置かれ、窓から差し込む自然光が色鮮やかなキャンバスを柔らかく照らしている。右の部屋にはキャンバスのほかアクリル絵具の画材が並び、奥にはバスルームが控える。部屋にはベッドや布団もなく、創作活動に不要なものはない。

「描きたいと思ったときに、いつでも作業ができるようにしています。こたつで寝る直前には無意識の中でもドローイング(デッサン)をするし、生活の中心にアートがあるんです」。穏やかな声で語り掛けたのは帽子をかぶり口ひげをたくわえた男だった。平成初期のボクシング界で、辰吉𠀋一郎と人気を二分し、時代を代表するスターとしてリングに立ち続けた鬼塚勝也。元WBA世界ジュニアバンタム(現スーパーフライ)級チャンピオンで、5度の世界防衛を果たした。端正な面影は、30年の時を経てもなお変わらない。鍛え上げられた腕、立ち姿に漂うただならぬ風格――鬼塚はパレットから色を選び、リングで鍛えた拳を絵筆に代え、滑らかな動きでキャンバスに描き始める。その背中には、かつての栄光と挫折、そして再生の物語が刻まれている。

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photograph by Kazumichi Kidera

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