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『ボクシング予備校』が生んだ世界王者・飯田覚士が明かす葛藤「他の大学からは“なんだアイツは”って」《天才・たけしの元気が出るテレビ!!》
『ちびまる子ちゃん』の放送が始まった1990年はバブルがはじけ、世の中はピーヒャラと踊ることなく平成不況に向かおうとしていた。日本ボクシング界に目を転じると大橋秀行が世界タイトルマッチ連敗を21で食い止めたとはいえ、世界から見放された冬の時代にあった。
「何かビビッときた」飯田覚士のターニングポイント。
その年の2月、全国的にまったく無名のアマチュアボクサー、岐阜経済大学2年生だった飯田覚士はバッグに封筒を入れて、少しでも早く届くようにと原付バイクで町の一番大きな郵便局に向かった。宛先は「天才・たけしの元気が出るテレビ!! ボクシング予備校」。ポストに投函した瞬間、運命の針が動き始めた。
「たまたま番組を見ていたらエンディングでプロボクサーを目指している人、募集と。1度目はスルーしたんですけど、翌週にも出ていたので送ったら選ばれるんじゃないかと思ったんです。卒業後はツアーコンダクターになろうと考えていましたから、プロになる気なんて全然ないですよ。でもテレビに出られて世界チャンピオンにも教えてもらえるならという軽い気持ちでハガキを送って。そうしたら翌週の放送では写真同封って出ていたので、ボクシング部でトロフィーをもらったときの写真を含めて2、3枚封筒に入れて、すぐ郵便局に行きました。何かビビッと来たんですよね」
現在、東京・中野区にジムを構える元WBA世界スーパーフライ級王者にとって、人生最大のターニングポイントになった34年前の瑞々しい記憶。懐かしそうで、ちょっと恥ずかしそうで。アマチュアボクシングをかじる一介の大学生がまさか時代を変える担い手の一人になるとは、本人とてまったく想像していなかった。
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