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「死んでもいいと思ってんだな」最強クライマー・一村文隆にとっての「生」と「死」《メディア嫌いだった男の“自由”》

2024/03/12
2008年、アラスカ・デナリ南壁での一村。横山、佐藤とのベアトゥース北東壁からデナリに至る継続登攀は世界から注目された
2018年、多くを語らず、ひたすらに岩壁で理想の登攀を追求し続けた稀代のクライマーが高峰に散った。一村文隆、享年41。自由な思想で日本のアルパインクライミングを旧習から解放した男の生涯を追う。

「暗いやつだな」

 それが横山勝丘の一村文隆への第一印象だった。仲間内で「ジャンボ」の愛称で親しまれる横山は、岩肌を想起させるような骨格と風貌の持ち主だ。横山は2つ年上の一村を「イッチー」と呼んでいた。

「イッチーの名前は聞いてたんです。すごい気合いの入ったやつがいる、って。アルパインクライミングを真面目にやってる人って、すごく少ない。だから、そういう情報はすぐ入ってくる。話には聞いていたんですけど、すごく人見知りする感じでしたね」

 写真の中の一村は、目が小さいせいもあるのだろう、表情が読みづらく、確かに内向的に見えた。

 私の中で一村は長くミステリアスな存在だった。トップクライマーたちの話の中にたびたび登場するのだが、どんな人物で、何をなし遂げたのかもわからない。

 ピオレドール賞という、賛否両論あるものの、世界の山岳界においてもっとも権威のある賞がある。一村は2008年に同賞を受賞したほどの実力者であるにもかかわらず、極端に情報が少なかった。

 彼はメディアに露出することをひどく嫌悪していたという。山で価値の高い成果を挙げると山岳雑誌等にレポートの提出を求められるのだが、パートナーが書くことはあっても一村が書くことはまずなかった。

登山界に突如現れた「ギリギリボーイズ」。

 アルパインクライミング――。この言葉を簡単に説明すると、標高6000m以上クラスの山で、年中、氷と雪が張り付いているような壁を2本のアックス(鎌のような登山具)を使いながら登る登山のことだ。乱暴な書き方をすれば、さまざまな種類の登山の中で、もっとも死が身近にある。

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photograph by Yusuke Sato

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