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1人、また1人と、世を去っていく仲間を見送りながら、そのクライマーは取り憑かれたように極地を攻めつづけた。そして4年前の大事故。突然訪れた空白が彼の心を飲み込み、登山家として死ぬことを一度は諦めた、はずだった――。
「シュルッ」と「ドサッ」。シンプルな擬音語だが、それだけに身の毛がよだつ。
〈「シュルッ」という音とともに私の側のロープ末端が、下降器を瞬時にすり抜けていった。(中略)私のすぐ右で「ドサッ」という鈍い音。振り返ると、佐藤の身体が岩盤を跳ね、落下してゆくのが見えた〉
2019年2月1日、「新型コロナ騒動」が始まるちょうど1年前のこと。南米大陸の先っぽ、日本の国土の約3倍の面積を持つパタゴニア地方のフィッツロイ山群で、その事故は起きた。
事故の詳細なレポートを書いたのは、横山勝丘だ。身長179cmで、怪力の持ち主。仲間からは「ジャンボ」の愛称で親しまれている。1979年生まれの43歳だ。国内のゴールデン世代と呼ばれるクライマーたちの中心人物でもあり、日本の先鋭的登山をリードしてきた存在だ。
文中の「佐藤」とは、佐藤裕介のことである。横山とは同年齢。一時期、業界関係者に、世界に通用する日本人クライマーは誰かと尋ねると、真っ先に名前が挙がるのが佐藤だった。
佐藤のプロフィールをそれらしく伝えるとしたら、ひとまず、こうなる。
世界有数のアルパインクライマー。2008年、天野和明、一村文隆とともにカランカ(インド・ヒマラヤ)北壁を初登頂し、日本人として初めてピオレドール賞を受賞。同賞は、フランスの山岳雑誌と山岳団体が主宰し、「登山界のアカデミー賞」と称されることもある――。
わかるようで、わからない。アルパインクライマーという言葉も、カランカ北壁の様相も、一般人に馴染みがない。
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photograph by THE NORTH FACE