空は底抜けに青く、雲は猛々しく白い。
北アルプスの麓にある梓川ふるさと公園の多目的グラウンドから天を仰げば、何となく松田直樹がいたずらな笑みをのぞかせてどこかで見ているような気がする。
2011年8月2日、16年間在籍した横浜F・マリノスを離れ、当時JFLだった松本山雅で変わらず熱いプレーを見せていた彼は練習中、このグラウンドで倒れた。急性心筋梗塞と診断され、2日後に天国に旅立った。34歳の若さだった。希代のディフェンダーとして日本代表、Jリーグで活躍した彼の突然の死は、日本中に深い悲しみをもたらした。
今年、十三回忌を迎えた。命日になるといつもここは多くの花束で溢れかえる。時間を置いて松本山雅のスタッフが預かっていくのだが、3週間近く過ぎても隅にはいくつか残っていた。断続的に誰かがやってきては置いていくのだろう。この日もマリノスのステッカーを張った車がグラウンド近くに停めてあった。
松田直樹を偲ぶ人たち――。それぞれが心に刻み、彼が遺したものと向き合いながら自分の人生を歩んでいる。なぜに12年経っても松田への思いは変わらないどころか強くなっているのか。それを知るために、ゆかりある人たちを訪ね歩いた。
松田の姿勢から学んだ「本気だった?」
夏と冬、1年に必ず2度松田が眠る群馬に向かい、墓参りをする律儀な男がいる。松田が山雅にいた'11年、センターバックでコンビを組んだ飯田真輝である。
松田の思いを引き継いでJ2、J1へとステップアップするチームの守備を長らく統率し、当時JFLの奈良クラブでプレーした'21年シーズン限りで現役を引退。すぐさま松本に戻ってきた。
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