お好み焼きをつついていると、おもむろに携帯電話が震えた。画面を見ると、松田直樹とある。数時間前、G大阪戦があった万博の競技場で別れたばかりだった。連敗を脱し、久しぶりに明るさを取り戻した松田の顔が浮かぶ。今は午後8時過ぎ。気分良く夕飯にでも繰り出しているはずの時間帯だ。何の用だろう。着信ボタンを押すと、何の前置きもなく、彼は言った。
「切られた」
電話口に恐ろしく無機質な声が響く。一瞬、意味を判別できないでいると、言葉が続いた。
「戦力外。さっき、会社から言われた」
2010年11月27日、それはあまりにも突然の通告だった。
現場からの信頼も厚かった故に、受けたダメージは大きかった。
それ以降、しばしの間、本人の記憶は混沌としている。契約を打ち切られた瞬間について「何か夢を見ているような気分だった」と振り返る松田は、いつも、どこか放心しているように見えた。ほんの数日前の話題すら思い出せないこともあり、度々、「そんなこと言ったっけ?」と首を傾げた。
横浜F・マリノス一筋16年のプロ人生において、戦力外とされてもおかしくない時期は何度かある。例えば、早野宏史が率いた2007年は出場機会が激減し、チームの中心から弾き出された印象が強い。それに比べ、今回はチームに対する貢献度も高く、現場からの信頼はむしろ厚かった。その証拠にシーズン終盤には監督からも契約延長を匂わせる言葉を受けている。だからこそ、松田が負ったダメージは大きかった。
現役にこだわり、長野県松本市のJFL・松本山雅を新天地に。
「裏切られた思い」というコメントは瞬く間に伝播し、周囲の共感も呼んだ。戦力外となった翌日は不満を募らせたサポーターがクラブハウスに集結し、即席の説明会では怒号が飛び交う事態にまで発展している。チームメートも一様に困惑し、松田を始めとする去りゆく功労者たちを明日は我が身かという目で見つめていた。
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