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「彼の投球は幾何学の授業のよう」サイ・ヤングはどんな投手だったのか?【歴代最多511勝レジェンドの素顔】

2023/07/10
歴代最多7回の受賞歴を持つロジャー・クレメンス。薬物疑惑の影響もあり、殿堂入りはならなかった
その名前を聞いたことがあっても、その功績まで知る人は決して多くはないだろう。賞に名前が冠された大投手の人物像を掘り起こす。

 トルネードの野茂英雄がアメリカに現れる100年以上前にも、渦巻く風の名で呼ばれたピッチャーがいた。

 彼の名はデントン・トゥルー・ヤング。青年時代にプロのトライアウトを受けた時、視察していたスカウトがその速球をサイクロンに例えたという。略して「サイ」。それが彼の愛称となり、「サイ・ヤング」というメジャー史上最強の投手の名に変わった。

Getty Images
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 南北戦争が終結して2年後、1867年3月29日にオハイオ州ギルモアという田舎町でヤングは生まれた。実家は農家。5人兄弟の長男だった。6年生までしか学校に通わず、以後は農場の仕事を手伝うことで自然と肉体が鍛えられていった。

 その頃に出会ったのが野球。青年時代にはセミプロチームに参加するようになり、実家に近いカントンという街のマイナー球団でプロとしての第一歩を踏み出した。右投げ、右打ち、身長188cm、体重95kgの立派な体躯。23歳だった1890年8月6日には、クリーブランド・スパイダースでついにメジャーデビューした。

 この日先発したヤングは、シカゴ・コルツをわずか3安打に抑え、チームを8-1の勝利に導いた。新たな若者の台頭をクリーブランドの地元紙『ザ・クリーブランド・リーダー&ヘラルド』は次のように書いた。

「背が高くて力強い若手投手がデビューした。彼の投球はまるで幾何学の授業のようで、バッターに向けて『この問題を解いてみろ』と問いかけるような投球だった。きっとこの若者はボールが描く曲線について鉄道会社の技師ほど詳しいに違いない」

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photograph by Getty Images

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