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《途中棄権》「陸上から離れたい」「神さまもどん底に…」神奈川大学・高嶋康司が綴った練習日誌…箱根駅伝“20区”を繋いだプラウドブルーの襷
練習日誌が心のよりどころだった。
神奈川大学の黄金期を彩った高嶋康司は照れ笑いしながら呟いた。
「かなり純粋というか、ピュアなヤツですよね。恥ずかしくなるくらい、ストレートに書いていますからね」
27年前の筆跡をたどる。いま、東京のシステム会社に勤め、48歳になった高嶋にとって、生涯忘れられない一日がある。
1996年1月2日。
第72回箱根駅伝の往路を走った仲間の名前と区間順位、タイムを羅列していく。そして、自らの結果も書き入れる。
《4区 高嶋 6km途中棄権》
丁寧な筆遣いに動揺は見えない。
だが、添え書きするレースの感想は深い懊悩の中で、のたうち回った生傷である。
《事が重大すぎて自分のしていることがわからなくなりそうだった。》
涙が涸れるほど泣いた。心が押しつぶされそうになりながらも、現実から目を背けずに、ペンを走らせていく。
《陸上から離れたい。離れれば少しは楽になるかもしれない。それは逃げているだけで何も得られない。逃げずに向かっていくのには大変な勇気がいる。その勇気をだす強さが自分にはあるだろうか。》
走り出してわずか1km、悪夢が始まった。
快晴の冬空だった。中央大や早稲田大、山梨学院大と並ぶ4強の前評判だった神奈川大は順調にレースを進めていた。3区の高津智一が区間賞で2位まで上げ、4区の高嶋に襷を繋ぐ。5区には前年区間賞で1学年上の近藤重勝が控えていた。高嶋は前日、近藤と別れる直前に言われていた。
「じゃあ、小田原で待ってるから」
小田原に向かう20.9kmを快走すれば、神奈川大史上初の往路優勝も見えてくる。しかも、神奈川県南足柄市出身の高嶋にとって地元のコースである。この1年間で急成長した2年生のホープは初めての箱根駅伝で、さまざまな期待を背負っていた。
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