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松坂大輔「繰り返してしまった過ち」(連載10)

2022/08/23
新チームで主将となった捕手の小山良男(右)と松坂
最上級生となり、月夜野合宿を経て気持ちを新たにセンバツを目指す松坂たち。だが県大会初戦から試練が。終盤、悪夢のY校戦と同じシチュエーションが訪れる。

 1997年8月――3年生が抜けて新チームとなった横浜の選手は、夏の甲子園に目をくれることもなく、群馬県の月夜野へ合宿に出掛けた。最上級生となった松坂大輔はこの夏合宿で、冬ではできない数の投げ込みを繰り返し、進化を目論んでいた。

◆◆◆

 僕ら、2年の夏は準決勝でY校(横浜商)に負けて甲子園には出られませんでした。桐蔭か横浜か、と言われたあの夏の神奈川を制したのは、決勝でY校に勝った桐蔭学園です。当時、2年生だった毅(和田毅、浜田)や球児(藤川球児、高知商)、スギ(杉内俊哉、鹿児島実)、古木(克明、豊田大谷)も甲子園に出場していました。僕らは絶対に甲子園に行けるぞと言われて集まったメンバーだったのに、2年のときは春も夏も甲子園に行けなかった。あの年は正直、2年生主体のチームだったと思いますけど、それでも気持ちの中で3年生に甘えている自分がいたことも事実です。結局はセンバツに出たY校も僕らも夏に負けて甲子園出場の難しさを改めて感じさせられましたし、当然、その後の僕らに待っているのは地獄です。準決勝で負けた瞬間から地獄行きのカウントダウンが始まっていましたから、負けを噛みしめる余裕はありませんでした。新チームになれば僕らが最上級生ですし、周りからは「いよいよお前らの年が始まるぞ」と言われていましたから、僕らもそれなりの覚悟を持っていました。

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photograph by SANKEI SHIMBUN

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