うまく間合いを外しているな……。
ひょっとして台湾が勝つんじゃないか。
日本代表に肩入れしようとしても、ふと気づけば台湾の選手を見てしまう。それが習い性になっていて、酒井光次郎はこの夜もテレビの前で、ついひとりごちた。
2024年11月24日、台湾とプレミア12の決勝を戦う日本は、まさかの窮地に陥っていた。先発した林昱珉の変化球を打線がとらえきれず、凡退をくり返した。4回までヒット1本しか打てずに無得点。継投で逃げきられ、完封負けを喫したのである。'23年WBCのような最強布陣でなかったとはいえ、国際大会の連勝を27で止められた衝撃は小さくなかった。
「林はちょっとクセのあるフォームで、日本の打者は打たされている感がありました。初対戦の左投手には苦戦しがちです。それは私も左投手だったのでよくわかります」
そう話す酒井は、かつてパ・リーグで活躍した左腕だった。1989年のドラフトで野茂英雄を抽選で外した日本ハムに1位指名された。西武の工藤公康をして「俺よりもいい」と言わしめたカーブを生かして1年目に10勝。その後は故障に泣き、現役8年間で23勝にとどまったが、この人のキャリアが特異なのは引退したあとだった。縁あって東シナ海をわたったのである。

'99年から'04年までの6年間、台湾代表の投手コーチを務め、'05年から3シーズンは統一ライオンズで指導。'23年から2季、富邦ガーディアンズの二軍投手コーチとして手腕を発揮した。また、日本に帰国中の'08年から3年間は横浜(現DeNA)に在籍し、アジア担当スカウトとしても活動。人脈は広く、中国語をあやつるまでになった。
「雑誌+年額プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています
この連載の記事を読む
記事

