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《秘話》大打者が捕手だった頃…和田一浩が語る松坂大輔の「あえて真っ直ぐ」と、小笠原道大が語る「落合博満さんの移籍」<連続インタビュー>

2025/06/09
左から小笠原道大、和田一浩
共に強打者として球史に名を残した二人には、キャリアの始まりが捕手だったという共通点がある。苦労しながらマスクをかぶった若き日の思い出と、そこで身に付いた習慣について明かした。(原題:[大打者の前日譚]和田一浩&小笠原道大「私が捕手だった頃」)

 プロ入りしてから打撃に専念するため、捕手から野手に転向する選手は多い。外野手として史上最年長の42歳11カ月で2000安打を達成し、最終的に計2050安打を記録した和田一浩は、その代表例だろう。

 もっとも、和田自身は「外野に行ったので打てるようになったかっていうと、そう単純なものではないと思います」と言う。

「外野手になって心身の負担が軽減されたのは確かです。でも、打撃とは結局、守備とは別の技術なんですよ。それは外野手だから身につくわけじゃないし、捕手だからできないわけでもない」

 その半面、捕手としての経験が、和田の礎の一つとなったことも、また確かだ。

「小3の時、少年野球チームの監督に捕手をやれと言われてから、高校、大学、社会人、そしてプロに入って外野手に転向するまで、ずっと捕手しかやっていませんでした。だから、捕手目線でしか野球が見られない。外野を守っている時も捕手のリードを予測してポジショニングを変えたし、引退して解説者になってからも捕手の配球を中心に試合を見てしまう」

 1997年にドラフト4位で神戸製鋼から西武に入団した時、和田は自信満々だったという。当時の正捕手・伊東勤を追い抜く意気込みで1年目のキャンプに参加した。

和田一浩 Hideki Sugiyama
和田一浩 Hideki Sugiyama

「すぐに鼻をへし折られました。初のブルペンで鹿取(義隆)さんの球を受けたら、2球で『代われ』。捕手の先輩たちのようにミットでパン! といい音を鳴らせなかったから。プロの投手はボールが動くのでいい音を出すのが難しい。1カ月練習しても、ボソッとしか鳴らなかった」

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photograph by Keiji Ishikawa

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