#1101
巻頭特集

記事を
ブックマークする

【インタビュー】「エジプト戦がポイントになった」西田有志が身につけた“俯瞰力”とパリ五輪の先に欲しいもの「結婚したから家を…」

2024/07/27
悔し涙を流しながら手応えも感じた東京五輪から3年。不屈のサウスポーは「今やれること」を100%やり続け、点取り屋としても一人の人間としても着実に成長を遂げた。このチームの集大成と位置付けるパリに懸ける思いとは――。(原題:[7年間の集大成を]西田有志「すべてを懸ける時が来た」)

 目いっぱい手を伸ばせば欲しいものに手が届く。西田有志はそうやって生きてきた。

 ジムカーナを趣味とする父の影響を受け、根っからのクルマ好き。お気に入りの映画は当然「ワイルド・スピード」だ。高校卒業後にジェイテクトSTINGSに入団するや否や、アウディをローンで購入。それを発奮材料として2年でバシッと払い終え、クルマの買い替えや家族へのプレゼントをエンジン全開の源にした時期があった。

「お父さん、『頭文字(イニシヤル)D』がメッチャ好きだったんです。15年前くらいだったかな、大切に乗っていた86(スプリンタートレノ)のエンジンが急に掛からなくて廃車になって。泣いている姿を見ていたので、いつか86を買ってあげたいと思っていました。

 ライフスタイルにつながる何かを目標にすることで、自分のバレーボール人生も楽しくなる。やり甲斐を感じてモチベーションも自分のレベルも引き上がりますから」

 今、欲しいものが目の前にぶらさがっている。ライフスタイルとバレーボールが重なって、自分も仲間たちも家族も、そして応援してくれるファンも同じ思いで望んでいるオリンピックのメダル――。世界ランキング2位、ネーションズリーグ準優勝という現在地が、ミュンヘン五輪以来52年ぶりとなる偉業への期待を膨らませる。意気に感じるその人のモチベーションに変換されていることは言うまでもない。

Yukihito Taguchi
Yukihito Taguchi

準々決勝までいけて大きかったけど、甘さもあった。

 オリンピックへの思いはずっと変わらない。小学3年生だった2008年に北京五輪をテレビで観て、バレーボール日本代表の戦いと清水邦広の力強いプレーに心が熱くなった。中3の卒業式ではクラスのみんなに「オリンピックに出る」と宣言したという。夢を叶えるべく一心不乱に打ち込んでいった結果、北京以来の出場となる東京五輪の大舞台を21歳で踏むことになった。

特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Asami Enomoto

3

0

0

前記事 次記事