将棋界における最大のアドバンテージが「早熟」であることに異論を挟む余地はない。出世のパスポートは“中学生棋士”というワードで、史上5人しかいない顔ぶれ(加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明、藤井聡太)を見れば、それだけで納得させられる。
森内俊之九段は、小3で将棋を覚え、小6で奨励会試験に一発合格した。大山康晴の時代に幕を下ろす役割をはたした中原誠が、名人戦10連覇を加藤一二三に阻まれた'82年のことだった。入会同期には、森内のほかに羽生、郷田真隆と、小学6年生が3人いたが、中学在学中に四段昇段を決めることができたのは羽生だけ。森内も、16歳、高校2年在学中に棋士に昇進したが、当時の心境をこう振り返る。
「中学生のうちに棋士になることを入会したときに目標として定めていました。16歳四段でも一般的には早い方なんですが、羽生さんから1年半ぐらい遅れ、1歳年長の佐藤康光さんにも遅れを取ってしまっていたので、うれしいという感じではなかったですね。やっとこれから、また同じところで戦えると思ったことだけは覚えています」
歴史に名を残すような早熟な人たちは、小学生の時点から自らの早い完成を意識して争っていることがわかる。
総勢8人の“昭和57年入会組”
同期生で四段に到達したのは、羽生、佐藤康、森内のあとにも木下浩一七段、小倉久史七段、郷田九段、豊川孝弘七段、飯塚祐紀七段が続いて、総勢8人。その目立ちっぷりから“昭和57年入会組”という特別な括りができたほどだ。また、前後する年代から台頭した丸山忠久(名人2期)、藤井猛(竜王3連覇)、屋敷伸之(当時最年少棋聖)、村山聖(29歳で早世した九段)、先崎学九段らを含めて、“羽生世代”、“チャイルドブランド”とも呼ばれて、驚異の存在となった。現代のデジタル世代に大きく先んじて出現した“恐るべき子供たち”が彼らだ。
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