8年にわたり10番を背負い、大黒柱として2度のW杯予選を経験した男が、
今だからこそ明かす試行錯誤の記録――。
称賛を受けたこと数知れず、バッシングを浴びたこと数知れず。
欧州でプレーしながら長きにわたって日本代表の「10番」を背負ってきた中村俊輔は、良きにつけ悪しきにつけ、その批評の対象になってきた。たとえそれが「10番」の宿命だとしても、彼ほど長いスパンで重圧を最前線で受けてきたプレーヤーは他にいないだろう。
そんな中村も代表から身を引いて2年近くになる。横浜F・マリノスに復帰して3年目のシーズン。チームの活動に専念した充実した日々を送っている。
重圧のなかを突っ走ってきたからこそ後で気づくこともあれば、代表や欧州の“喧騒”から離れて落ち着いてサッカーと向き合っている今だからこそ見えてきたものもある。
自己の成長を促すために17年間つづってきたサッカーノートには書ききれない、心に留めてきた「覚おぼえがき書」が中村のなかで一つひとつ整理されようとしている。今年34歳、キャリアの終盤を迎えている中村俊輔が、自分の経験を踏まえてサッカーを多角的に語る――。
第一回目のテーマは「W杯最終予選の記憶」。中村はドイツW杯、南アフリカW杯の最終予選でいずれもチームの中心として予選突破に貢献したが、決して簡単な道のりではなかった。ドイツW杯の際は初戦の北朝鮮戦(ホーム)を皮切りに序盤、綱渡りの試合が続いた。
アウェーのイラン戦で負けたことの意味。
埼玉スタジアムで戦った北朝鮮との試合でまず感じたのは、日本が4-0とか5-0で圧倒して勝ってくれるんだろう、という期待が高まっていて、チームとして応えなきゃみたいなところがあった。前半の早い時間に先制しても相手がしっかり守ってきて点が入らなくて……。そうなるとこっちがリードしているのに「まずいな」というムードになって、調子に乗りづらくなってしまった。俺は(直前合流だったこともあって)控えでスタートしたんだけど、同点に追いつかれたりして、みんなのやりづらさというのは感じていた。大黒(将志)がロスタイムに決勝点を奪って勝つには勝ったけど、最終予選の難しさを痛感させられた。
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