NumberWeb TopicsBACK NUMBER
「日本シリーズの日程、変えられないのか?」ダイエーが“ON決戦”を前に犯した大失態、そして敗北に王貞治が見せた「信じられない行動」とは
posted2026/10/23 06:00
ミレニアム決戦と言われた2000年日本シリーズ。実はダイエーの大失態にはじまり異例の決戦だった
text by

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Koji Asakura
2000年、ついに実現した王貞治ダイエーvs.長嶋茂雄巨人の「ON決戦」。だが日本シリーズを前に、ダイエー球団の大失態が明らかになる。オーナー代行の中内正が、球団代表の瀬戸山隆三に切り出した。「日本シリーズの日程、変えてもらうことはできないのか?」
福岡ドーム“ダブルブッキング”の内幕
発端は、ドームの日程管理にあった。福岡ドームは2000年10月24日からの3日間、日本脳神経外科学会に押さえられていた。しかも1999年12月の時点で、ドーム側は日本シリーズ期間中であることを見落としたまま「開催OK」と返答していたのだ。
学会側はすでに世界中へ日程と場所を通知している。もはや動かすことはできない。瀬戸山はコミッショナー事務局に相談したが、事務局長の金井義明の対応は、けんもほろろだったという。
ADVERTISEMENT
「それは、おたくが勝手にされたことですから、コミッショナーは関係ないんじゃないですか?」
8月、瀬戸山は王に事情を説明した。日本シリーズの期間中に、ドームが使えないかもしれない。
「それはそれで、もう大変やった。最初、(王は)ブチ切れたよ。そりゃ、そうですよ」
瀬戸山は、通常なら「2連戦-移動日-3連戦-移動日-2連戦」のところを「3連戦-2日休み-4連戦」とする、前例のない変則日程への調整に入った。仮にそれができなければ、「深夜のプレーボール」も覚悟していたという。
異例の日程が決まると、王は一切の文句を言わなかった。「2勝4敗で負けた、それでも文句言わなかった」。そう瀬戸山は振り返る。
しかし第6戦、巨人の胴上げが始まる瞬間、王は敗北を見届けず、ベンチ裏へと姿を消した。城島健司は「2000年のONシリーズと言えば、王貞治がベンチからいなくなったこと、なんです」と語る。小久保裕紀も「絶対に、最後を見届ける王さんが、あの日は負けた瞬間、すぐにベンチ裏に入っていったんです」と明かした。
ダイエーの失態の顛末と、王の「信じられない行動」の裏にあった本心は、本編で詳しく描かれている——。
〈本編につづく〉
◆
この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
