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「もう二度と、スワローズと関わりたくない」古田敦也も絶句…名守護神・高津臣吾を絶望させた球団の“塩対応”ぶり「敬意も、感謝も、配慮もない」

posted2026/10/23 11:00

 
「もう二度と、スワローズと関わりたくない」古田敦也も絶句…名守護神・高津臣吾を絶望させた球団の“塩対応”ぶり「敬意も、感謝も、配慮もない」<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

2001年、ヤクルトが日本シリーズを制し、喜びを爆発させる高津臣吾

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NumberWeb編集部

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Kazuaki Nishiyama

ヤクルトの守護神として君臨した高津臣吾が、今だから話せる真実を明かす。一時は完全に「絶縁」を決め込むほど、球団との間には深い溝があった。著書『愛と哀しみのスワローズ』(KADOKAWA)から抜粋した記事の凝縮版をお届けする。※名前の「高」は「髙(はしごだか)」


「もう二度と、スワローズと関わりたくない」――高津臣吾がそう決意した夜がある。

 2007年10月9日、横浜スタジアムでのシーズン最終戦。高津はセーブを挙げてその年を締めくくった。しかし試合後、球団からは何の連絡もなかった。帰路についた車中、一本の電話が鳴る。「明日、球団に来てくれ」。そのひと言で、すべてを察した。

引退試合もなく、あっけなく告げられた「戦力外」

 翌日、球団事務所で言い渡されたのは予想通りの戦力外通告だった。野村克也監督の下で迎えた黄金期、日本シリーズでの胴上げ投手、積み上げてきたセーブの数々。それらに対する敬意も、感謝の言葉も、引き際を相談するような配慮もなかった。

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 追い打ちをかけたのは、ある球団関係者の言葉だ。「オレは(クビになるのを)知っていたんだけどな」。高津は「この人は何を言っているんだ」と呆れるしかなかった。すぐに古田敦也監督に電話をすると、「えっ?」と絶句した。監督さえ与り知らぬところで行われた人事だったのだろう。

「何もせず、何も言わずに去ることこそが、今の自分にできる唯一の意思表示だ」。そう考えた高津の胸には、猛烈な闘志が再燃していた。「こんな形で終わってたまるか。どこでもいい、投げられる場所があるのなら、どんなところであっても、投げ続けてやろう」。

 その後、韓国・台湾・独立リーグと転々としながら現役を続けた高津が、なぜスワローズに戻る決断をしたのか――球団社長との"密談"で語られた本音と、固く閉ざされた心を開いた一言は、本編に詳しく描かれている。〈本編へつづく〉

◆この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

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