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「あっけなく、そっけなくクビ宣告」ヤクルトの名守護神・高津臣吾はなぜ、引退試合なしの戦力外通告を受けたのか…「悔しさは今でも忘れない」
posted2026/10/09 06:00
1997年の日本シリーズを制し、胴上げ投手となったヤクルトの高津臣吾
text by

高津臣吾Shingo Takatsu
photograph by
Kazuaki Nishiyama
最優秀救援投手4回、日米通算313セーブ……。サイドスローから繰り出すシンカーを武器に、ヤクルトの守護神として君臨した高津臣吾。2020年からは監督を務め、21、22年にセ・リーグ連覇、21年には日本一に輝いた。ただ、一時は完全に「絶縁」を決め込むほど、球団との間には深い溝があった。今だから話せる真実とは……。著書『愛と哀しみのスワローズ』(KADOKAWA)から一部抜粋し、ご紹介する。※名前の「高」は「髙(はしごだか)」《全3回の1回目/第2回、第3回も公開中》
2025年9月28日・神宮ラストゲーム――。
この日は、僕にとってずっと記憶に残るはずの大切な一日となった。
07年に不本意な形でチームを去ることになった。あのときは、「もう二度と、スワローズのユニフォームを着ることはないだろう」と思っていた。そんな僕が、どうしてスワローズに復帰し、一軍監督となり、21年の日本一、22年のセ・リーグ連覇という幸せな経験をすることができたのか?
今だから話せる「あのとき何が起こったのか」
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ユニフォームを脱いだ今だからこそ話せることがある。
そして、今だからこそ、あのとき何が起こったのか、僕はどんなことを考えていたのかを話すことができる。
退任した今、久しぶりにユニフォームを着ていない現在だからこそ、監督在任中に考えていたこと、選手たちとの忘れられないエピソードをきちんと記録しておきたい。そんな思いが芽生え、こうして本書を出版することになった。ファンのみなさんにも、ぜひ僕たちが必死に戦った、かけがえのない日々を共有してほしい。
まずは、そもそもの発端となった「2007年10月10日」から振り返ってみたい。

