甲子園の風BACK NUMBER
「日本刀の上を歩く伝説はもう終わり」公立の古豪を甲子園に復活させた監督はいかに伝統を変えたのか「広島商の常識は当たり前じゃないんだ、って」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph bySankei Shimbun
posted2026/10/13 06:06
今夏まで名門・広島商業を率いた荒谷忠勝監督。公立伝統校を指導する難しさとは
昭和の時代、広島の野球少年が甲子園を目指すなら、広島商業か広陵の二択だった。腕に覚えのある選手を数多く集め、厳しい練習でふるいにかけて強いチームをつくりあげた「広商の野球」の型を疑う者はいなかった。
選手として日本一の経験を持つ監督に率いられ、甲子園にも出場した荒谷にとって「広商の野球」がすべてだった。しかし、別の高校で指導を行ったことで視野が広がった。
「指導者として財産になっているのは呉商業での11年間です。広商には、みんな覚悟を持って入ってきます。でも、呉商業は全然強くなくて、20点差で負けることもありました。そもそもの野球に対する考え方が違う」
広商の常識は当たり前じゃないんだ
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そこから指導について考え直した。
「広商の常識は当たり前じゃないんだと気づきました。野球のルールをあまり理解していない生徒もいて、厳しさをどこに合わせるのかということを学びました。そのうちにチームは力をつけていって21世紀枠の推薦校(広島)に選ばれ、東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーした宮森智志のような選手が出てきました」
11年間、呉商業で指導するうちに監督としての引き出しが増えた。
「どんな生徒にも可能性があると思えました。今、広商にはある程度の型はありますけど、型にはめているようではめていないんで、手間はかかりますよ」
そう言って荒谷は笑った。
2024年の秋に明治神宮大会で準優勝を飾ったメンバーは翌春のセンバツでも準々決勝に進出、古豪復活のアピールに成功している。
2000年以降、広島の勢力図は大きく変わった。広陵が2003年春のセンバツで優勝し、2007年夏の甲子園で準優勝。毎年のように卒業生をプロ野球の世界に送り込んでいる。広陵以外にも私立の強豪は多く、広島商業を第一希望にする有望選手が減っているという現実がある。

