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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
メッシは“傷だらけの天才”だった「10歳で身長127cm」「極端に内気」「国歌が歌えない」“中傷された”アルゼンチン代表でW杯優勝…その逆転人生
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKiichi Matsumoto/JMPA
posted2026/10/10 17:04
北中米W杯でのメッシ。栄光に満ちたバルサ時代とは対照的に、アルゼンチンでは浮き沈みのドラマがあった
2005年8月、18歳でアルゼンチン代表へ初招集され、家族と共に大喜びした。そして、ハンガリー代表との強化試合の後半19分、背番号18を付けてピッチに立った。
ところが、最初のプレーで、予想もしなかったことが起きた。
パスを受けてドリブル突破を図った際、相手選手から執拗にユニフォームを引っ張られた。振りほどこうとして右腕を振ったところ、肘が顎に入って相手選手が悶絶。主審は、メッシにレッドカードを突きつけた。ピッチへ入ってからわずか47秒で、退場処分を受けたのである。
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呆然とした表情で、頭を抱えながらピッチを後にした。「もう二度と代表には呼んでもらえないのではないか」と悲嘆にくれた少年を、チームメイトたちが慰めた。その一人が、現役時代はDFで、2018年から代表でメッシを指導して共に数々の栄光を手にしたリオネル・スカローネ監督である。
母国からの痛烈な批判と苦悩
代表で主力選手となってからも、苦しみ抜いた時期があった。
2006年のW杯に招集されたが、チームは準々決勝で敗退した。翌年のコパ・アメリカでは決勝に進んだが、宿敵ブラジルに完敗して準優勝だった。2010年のW杯にも出場したが、ディエゴ・マラドーナ監督の下でメッシは不調で無得点。やはり準々決勝で散った。翌年のコパ・アメリカでも無得点で、またしても準々決勝で敗れ去った。
当時、すでにバロンドールを複数回獲得しており、バルセロナではスーパースターだっただけに、代表でクラブと同じようなプレーができず、チームも全くタイトルを取れないことが痛烈に批判された。
試合前の国歌斉唱の際に歌わないことまで問題視され、「若くしてスペインへ渡ったので、国歌が歌えない。アルゼンチン人ではなくスペイン人なのだ」などと中傷された。
2014年のW杯では好調で、4得点をあげてチームを決勝へ導いた。しかし、ドイツに惜敗して準優勝に終わった。翌年のコパ・アメリカでも決勝へ進んだが、チリに延長の末にPK戦で敗れて準優勝。さらに、その翌年のコパ・アメリカ創設100周年記念大会(センテナリオ)でも決勝で再びチリと対戦し、延長を終えても0-0で、またしてもPK戦。ところが、メッシが最初に失敗したのが響き、敗れてしまった。
背番号10は大きなショックを受け、試合後、「もう代表ではプレーしない」と口走った。しかし、帰国後、大統領から電話で説得され、監督にも翻意を促されて2カ月後に代表引退を撤回した。
転機は2021年、そしてW杯優勝へ
転機となったのは、2021年にブラジルで開催されたコパ・アメリカだった。

