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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
メッシは“傷だらけの天才”だった「10歳で身長127cm」「極端に内気」「国歌が歌えない」“中傷された”アルゼンチン代表でW杯優勝…その逆転人生
posted2026/10/10 17:04
北中米W杯でのメッシ。栄光に満ちたバルサ時代とは対照的に、アルゼンチンでは浮き沈みのドラマがあった
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Kiichi Matsumoto/JMPA
不世出の天才フットボーラーにとって最初の困難は、幼少期に成長が遅れ、医師から「成長ホルモンの分泌不全。適切な治療を施さなければ、成人しても身長は150cmに届かないだろう」と診断されたことだった――。
天才少年を襲った過酷な試練
リオネル・アンドレス・メッシは1987年6月24日、アルゼンチン北部ロサリオで生まれた。6歳のときに地元の強豪ニューウェルズ・オールド・ボーイズのアカデミーに入団し、抜群のテクニックで衝撃を与えた。
しかし、同年代の少年と比べて非常に小柄で痩せていた。10歳で身長わずか127cm。「毎日欠かさず、成長ホルモンを注射する必要がある」と医師から言われ、少年メッシは注射のやり方を習った。成長を祈りながら、毎晩、自分の太ももに注射の針を刺した。
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これらの治療は、毎月900ドルと高額だった。当初は父親が働いていた製鉄所とクラブからの補助でまかなっていたが、アルゼンチン経済が悪化すると、補助が打ち切られてしまった。
メッシの両親は、息子が成長ホルモン不全の問題を克服し、選手としてのキャリアを切り開くため、欧州のクラブへ入れたいと考えた。
2000年9月、13歳のメッシはバルセロナのアカデミー(マシア)の入団テストを受けるためスペインへ渡った。2週間待たされた末、紅白戦に出場すると、ドリブルで相手チームの選手を次々に抜き去ってゴールを決めた。これを見たカルロス・レシャック監督(1998年に横浜フリューゲルスを率いた)は、「すぐに彼と契約してくれ」とクラブ関係者に伝えた。以来、メッシは適切な治療を受けることができるようになり、心置きなく練習に励むことができた。
新天地で開花した唯一無二の才能
ただし、極端に内気で、ほとんど誰とも口をきかなかった。当時のチームメイトは、「彼は音声障害なのだと思っていた」と口を揃える。
選手育成に定評のあるマシアで、技術と創造性に磨きがかかった。2004年、16歳でプロ契約を結ぶ。この年、トップチームからデビュー。ブラジル代表のスーパースター、ロナウジーニョから非常に可愛がられ、主力選手へと成長していった。
しかし、その後もすべてが順風満帆だったわけではない。

