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「監督に向いてないね」王貞治に直言した張本勲、“監督就任”が消えた日…生前に本人が明かしていた“なぜ固辞したか?” 天才の孤独を元同僚は見た 

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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posted2026/10/03 11:04

「監督に向いてないね」王貞治に直言した張本勲、“監督就任”が消えた日…生前に本人が明かしていた“なぜ固辞したか?” 天才の孤独を元同僚は見た<Number Web> photograph by AFLO

張本勲はなぜプロ野球監督にならなかったのか

 王は95年から08年までダイエー・ソフトバンクの監督を務め、優勝3回、日本一2回を成し遂げ、06年にはWBCで日本代表を率いて初代優勝に導いた。張本は王について〈名監督であったことは確かである〉とも書いているが、〈本質的に王は、監督に不向きなタイプ〉(以上、前掲『ON論』)と繰り返している。性格の似た自分が監督になっても、うまくいかないと感じたようだ。

トレード破断の真相…見えた“一面”

 他にも、張本が監督の道を躊躇した理由はあるだろう。

「非情」になりきれないのだ。張本は幼い頃から、在日韓国人という立場を揶揄され、幾度となく悔し涙を飲んできた。裏を返せば、人の痛みがわかる男だった。

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 上に立つ人間の優しさは、時にマイナスに作用する。日拓時代の73年、土橋監督は投手力を改善するため、主砲の大杉勝男を放出し、エース級の投手を獲得しようと考え、張本ヘッドに相談した。

 阪神の江夏豊と金田正泰監督のソリが合っていないという情報を得た張本はシーズン中、金田監督に1対1のトレードを打診した。話は水面下で進行し、オフの発表を待つだけだった。11月6日、スポーツニッポンは〈日拓、大杉放出へ 投手強化 エース級獲得に本腰〉と1面で報じている。当時の様子を、張本は91年の著書『闘魂のバット』に書いている。

〈私としては、情熱家で性格もいい好青年・大杉を手放すのに忍びなかった。“オフになったら検討しましょう”ということで、それ以上に私が強く、この話の推進役にならなかったことで、この話はいつか消えてしまった〉

 実は、張本は“ウソ”をついている。92年、大杉は47歳の若さで逝去。30年近くが過ぎ、自身が80歳を超えた時、『週刊ベースボール』(2021年11月15日号)の連載で真相を語っている。要約すると、こうなる。

 ある日の夜10時頃、張本の自宅のチャイムが鳴った。扉を開けると、大杉は玄関で正座をして、懇願した。

「兄貴、勘弁してください! これからは必死にやりますからチームに残してください。助けてください!」

 リビングに招き入れて理由を聞くと、大杉は「横浜に家を建てたばかりで東京を離れてはいけない。方角的な問題もある」と涙ながらに語った。張本は親身になって、弟分の訴えを聞き入れた。そして翌日、自ら土橋監督にお願いした。

【次ページ】 繊細さ、孤独…決定的な理由とは

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