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「自分だったら…」拓殖大・馬淵烈監督が明かした、大バッシングを浴びた父・馬淵史郎監督「松井秀喜5連続敬遠」への本音
text by

中村計Kei Nakamura
photograph by馬淵烈さん提供
posted2026/09/23 17:03
孫の遼正(りょうま)くんを抱き笑顔の明徳義塾高校・馬淵史郎監督(右)。息子で拓殖大の馬淵烈監督(左)は、侍ジャパンU-18 代表を率いた父の応援にも駆け付けた
「ハードな練習が積めてないから、ピッチャーも短いイニングでどんどん代えてくるチームとかもあって。うちだけ『なめんなよ!』って。もちろん、他の大学には本気でやれない事情もあって、それもわかってたんですけど、もう、『やったれ!』って。わけわかんないですよね」
拓殖大はそのシーズン、唯一、負けなかった。そして、最終的に8勝2分けでリーグ優勝を決める。
最終戦のあと、選手たちは固辞する烈をなだめながら胴上げをした。そのときの写真はリビングに飾られているという。
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「あんとき、神様に大事なものを教えてもらったような気がして。どんなときでも一生懸命やってれば、きっと、いいことがあるんやって」
どんな状況でも勝負から降りないところも史郎の血そのものだった。
息子がみた「松井秀喜5連続敬遠」
史郎と言えば、1992年夏の甲子園において、星稜との試合で起きた「松井5連続敬遠」が語り草となっている。明徳は超高校級スラッガーである松井秀喜を5連続敬遠し3−2で勝利したものの、勝利至上主義ではないかという大バッシングを浴びた。
そのとき烈はまだ3歳だったため、記憶にはないという。
「あとから聞いたりして、知ってますけど、5打席中4打席はランナーを置いた状況で、そのうち3打席は一塁が空いていたんですよね。そういう場面での敬遠はわかります。ただ、1打席は2アウト、ランナーなしだったでしょう? あそこは欲が出るんじゃないかな……。ホームランだけは絶対打たれないように、外だけ投げとけって言っちゃう気はしますね。でも、間違って少しでも中に入ったら、もっていかれちゃうバッターだったということでしょうね。自分だったら……。できるかな。できないんじゃないですかね」
烈は力勝負を挑むことを「欲」と表現した。あの日の敬遠は、個人の美学や感情を一切捨て去った、純粋な勝負論の帰結だったからだ。
当時、一部の人たちは敬遠を「逃げ」と表現したが、逆なのだ。史郎は勝負に出たからこそ、走者なしの場面でも敬遠を選択した。烈の選んだ言葉は、バッシングの陰に隠れた勝負の本質を深く理解している証でもあった。

