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「甲子園出場後、4人が東大に進んだ」国立高校の“文武両道伝説”は真実か? 野球部では“昭和の猛練習”「勉強はそれほど…自由な学校でしたから」
posted2026/08/21 11:11
1980年、都立高校として初めて甲子園出場の切符をつかんだ国立高校。快挙のウラには“昭和の猛練習”があった
text by

渋谷淳Jun Shibuya
photograph by
Sankei Shimbun
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市川武史が1年生だった1978年、国立は夏の大会に初戦で敗れた。早々に予選で消える高校球児の夏は長い。国立のメンバーはまだ他校が甲子園に向けて熱戦を繰り広げる中、秋に向けて練習を再開した。
力のない学校、あるいは選手が周囲の想像を上回る好成績を残す場合、そこには高い目標を達成しようという覚悟と熱意があり、数々のハンディを克服するための創意工夫があるものだ。はたして国立はどうだったのだろう。熱意はあった。ただし、その練習はといえば、先進的というよりも、むしろ典型的な昭和の野球部を感じさせた。
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「とにかく1年生の夏は厳しかったですね。練習は毎日。しかも水は一滴も飲めない。この年、記録を調べると東京は暑かったんです。まだ体力もない1年生ですから本当にきつかった。今でもOBで集まると、1年のあの夏をよく乗り越えられたな、という話になります。人数が少なかったのも練習がきつくなった要因だったと思います」
酷暑の夏の猛特訓「毎日を生き抜くのがやっと」
3年生が抜けて1、2年生だけになった野球部員は12、3人しかいなかった。人数が少ないからどんな練習メニューであっても休む暇がまったくない。しかもこの年の東京は例年に比べて暑かった。気象庁のホームページによると、7月は最高気温が30度を超えた日が26日、8月は29日で、うち7日は35度を超えた。来る日も来る日も炎天下で練習し、「毎日を生き抜くのがやっとだった」と振り返る市川だが、この練習でチームが成長したと感じている。
「もうだれも口を開けないくらいの状態でしたけど、結果的にあの練習が良かったんじゃないかと思っています。人数が少ない分、密度の濃い練習ができたし、試合慣れできたというのも大きかったのかなと思います」

