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「途中から負ける気がしなかった」“都立初の甲子園”国立高校が起こしたミラクル「相手は王者箕島…でも勝ちたかった」東大でも活躍した鉄腕の告白

posted2026/08/21 11:12

 
「途中から負ける気がしなかった」“都立初の甲子園”国立高校が起こしたミラクル「相手は王者箕島…でも勝ちたかった」東大でも活躍した鉄腕の告白<Number Web> photograph by Number Web

国立高校のエースとして西東京大会を投げ抜き、「鉄腕」と称された市川武史さん。のちに東大に進学し、東京六大学野球でも活躍した

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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1980年夏、高校野球のスターは横浜の優勝投手、愛甲猛であり、1年生ながら準優勝してアイドルとなった早稲田実業の荒木大輔だった。この大会で異彩を放ったのが都立勢として初めて甲子園の土を踏んだ東京都立国立高校だ。無名のノーシード校はなぜ甲子園に出場できたのか。1980年のドラマを当時のエース、市川武史さん(キヤノン株式会社常務執行役員)とともに振り返る。(全3回の3回目)※以下、文中敬称略

◆◆◆

 身長167cmの小柄なエース、市川武史は3年生を迎えてもパッとしない気持ちだった。前年秋に痛めた肩の調子が思わしくない。それでもエースとして春季大会初戦のマウンドに上がり、2失点で完投して勝利投手となる。ところが試合を終えた直後、監督の市川忠男はいきなり「横から投げろ」と投球フォームの変更を要求した。

「秋のころの球威がないのは自分でも分かっていたので、横投げと言われても納得できました。ショートをしていたときスローイングは横からでしたし。ただ、市川監督は横投げが嫌いなんですよ。それまではすべての投手に上から投げさせていましたから。そういう意味では驚きでした」

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 サイドスローに転向した市川は次の試合で敗れるものの、強豪で知られる都立東大和を1失点に抑える。ただ、その後の練習試合では打ち込まれた。悩んだ末、夏の組み合わせも決まったころ、ムービングファストボールを使ってみようと思い立つ。今で言うところのツーシームで、握りを少し変えることで球が微妙にブレる。市川はこれを短期間で習得し、ぶっつけ本番で夏の大会に挑んだ。

延長18回引き分け再試合も一人で完投

 不安要素は多かった。それでも初戦、練習試合で2度負けていた都立武蔵村山に2対0で競り勝つと勢いに乗った。もともとコントロールに自信のあった市川はテンポのいい投球で4回戦まで4完投3完封2失点。ツーシームの感覚も徐々につかんでいった。準々決勝では佼成学園と延長18回1対1引き分けを一人で投げ抜き、翌日の再試合でも完投して鉄腕ぶりを発揮した。

 普段から200球、300球の投げ込みをしていた市川のスタミナは抜群だった。本人曰く「疲れないかとよく聞かれますけど、疲れちゃダメなんですよ」。監督から「連投できる投手になれ」と言われ続けていたこともあり、このときの市川は「いくらでも投げられる」という感覚だった。

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