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「甲子園出場後、4人が東大に進んだ」国立高校の“文武両道伝説”は真実か? 野球部では“昭和の猛練習”「勉強はそれほど…自由な学校でしたから」 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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photograph bySankei Shimbun

posted2026/08/21 11:11

「甲子園出場後、4人が東大に進んだ」国立高校の“文武両道伝説”は真実か? 野球部では“昭和の猛練習”「勉強はそれほど…自由な学校でしたから」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1980年、都立高校として初めて甲子園出場の切符をつかんだ国立高校。快挙のウラには“昭和の猛練習”があった

同期の4人が東大進学…“文武両道”は真実か?

 こうして毎日土にまみれ、野球に青春をささげる国立野球部員だったが、勉強を含めた学校生活はどうだったのだろうか。市川たちの代は卒業後、4人が東大に進学するなど学業も優秀だった。どのようにして勉強と部活を両立させていたのだろうか。

「練習はほぼ毎日ありました。勉強はゼロとは言わないですけど、それほどしてなかったと思います。授業は聞いていました。夏の大会前以外は、試験前に部活が休みになるので、そのときくらいですね。他のメンバーがどう勉強していたか分からないですけど、似たような感じだったと思いますよ。1、2年生のうちは受験のことなんか考えないですし。塾に通っていた選手もいなかったですね」

 野球部の厳しい練習を終え、家に帰って毎日コツコツ勉強するというタイプは少なかったようだ。たいていの部員が3年の夏まで野球に集中して、部活を引退してから本格的に受験勉強を始める。甲子園に出場したとき、「国立の選手は宿舎に参考書を持ち込んで勉強をしている」と新聞に書かれたが、市川によれば事実ではない。そもそも学校全体に「勉強をしなくちゃいけない」という空気はあまりなかった。

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「ある意味、自由な学校でしたから。バイク通学もOKでしたし、制服もないし、先生も自由。ちょっと大学みたいな感じかもしれないですね。人によっては楽しい学校だと思います」

 それぞれが自分の好きなことを思う存分にやる。勉強をしたい者、スポーツに打ち込みたい者、文化祭に燃えたい者、バイトに励みたい者、あるいは特に何をするでもない者。それぞれが学校や友人から何かを言われることもなく、大人として扱ってくれる。それが国立のカラーなのかもしれない。

 こうした環境の中、市川たちは野球に打ち込んだ。しかし、思いとは裏腹に結果は出なかった。1年生の秋季大会は2回戦負け、2年生の夏の大会でも2回戦負け。自分たちの代になると練習試合で勝ちまくり、自信をもって臨んだ秋季大会は4試合目のブロック大会決勝で敗れた。市川が試合前に肩を壊したことが影響した。そして冬を越え、いよいよドラマティックな最終学年の幕が開く。この時点で甲子園出場はまったく見えていなかった。

<続く>

#3に続く
「途中から負ける気がしなかった」“都立初の甲子園”国立高校が起こしたミラクル「相手は王者箕島…でも勝ちたかった」東大でも活躍した鉄腕の告白
この連載の一覧を見る(#1〜3)

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