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「もし松井秀喜と対戦したら?」「絶対に敬遠しない」あの夏の優勝投手は言った…伝説的エースの告白「“森尾世代”ではなく“松井世代”でいいんです」 

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松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

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photograph byJIJI PRESS

posted2026/08/19 11:41

「もし松井秀喜と対戦したら?」「絶対に敬遠しない」あの夏の優勝投手は言った…伝説的エースの告白「“森尾世代”ではなく“松井世代”でいいんです」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

星稜・松井秀喜への「5打席連続敬遠」で揺れた1992年夏の甲子園。頂点に立ったのは鉄腕・森尾和貴を擁する西日本短大附だった

 結果的にこの事件は、スポーツ紙だけでなく一般紙の三面記事にも掲載されるほどの社会問題となった。星稜に勝ったその日から明徳義塾は猛烈なバッシングを受けた。抗議や脅迫の電話・投書に加えて、宿舎にガヤが押し寄せるなど、現在で言うところの大炎上となったのだ。

“悪役”明徳義塾が敗れた直後の甲子園で

 明徳義塾の次の対戦相手は広島工。8月22日の試合当日、広島工側のスタンドでは「相手にも温かい応援を」というチラシが配られた。実は、この明徳義塾と広島工の3回戦の直後に西日本短大附と三重のカードが組まれていた。球場内に異様な空気が漂うなか、次の試合のため待機している選手たちはどのような気持ちでいたのか。

「別に何も思わなかったですね。『大騒ぎになっとるね』ぐらいな感じで。星稜戦の翌日、明徳の宿舎に警察が出動したとか、罵声を浴びせられたとか、いろいろ聞いたりもしていました。でも僕らはそういう出来事に左右されずにやってました。たしかにザワついてるけど、僕らは僕らで目の前の試合を集中して戦っていくだけでしたから」

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 森尾はあっけらかんと語った。そこに嘘はない。三澤の帝京が負けた。松井の星稜も負けた。星稜に勝利した明徳義塾も到底まともにプレーできる心理状態ではなく、広島工に0対8で敗れた。それを喜んでいたわけではない。ただ、西日本短大附の選手たちは90年のベスト4を超えることを目標に定め、本気で優勝するために甲子園に乗り込んでいた。ライバルがどうなってもブレることはない。球史に残る5打席連続敬遠も、あくまでも他所の出来事として冷静に受け止めていた。

 3回戦での森尾は決して好調ではなかった。三重打線に10本のヒットを打たれながらも、7奪三振、無失点に抑えた。そして、特筆に値するのが8月22日の3回戦から25日の決勝まで4連投し、すべて完投していることだ。4日間の投球数は490。失点は準々決勝の北陸戦で喫した「1」のみ。継投策が定石となり、球数制限がある現代の高校野球では到底考えらない。

「監督の浜崎(満重)さんが新日鉄堺の出身だったので、甲子園の期間中は新日鉄堺で野茂(英雄)さんを診ていたトレーナーさんに毎試合後にマッサージしてもらいました。県大会は水風呂とサウナぐらいで、あとは自分でストレッチ。甲子園はしっかりケアをしていただいたおかげで4連投できたと思うんですよ。正直、県大会の3連投(準々決勝~決勝)のほうがきつかったです。県大会のような感じだったら、あそこまで投げられていないと思います」

【次ページ】 「“松井世代”でいいじゃないかと。それでいいんです」

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