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「史上最高の甲子園優勝投手」は、なぜプロに進まなかった? 松井秀喜がいた夏“5完投4完封の鉄腕”森尾和貴を直撃「プロには行けました。行くと言えば…」
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byAFLO
posted2026/08/19 11:40
1992年夏の甲子園で驚異的な投球を見せた西日本短大附の森尾和貴。全5試合で完投し4完封、防御率0.20をマークし「鉄腕」と称された
「後半に打たれるのは、コントロールが甘くなっているということ。あとはやっぱりスタミナ。まだ4回戦、5回戦ですから、その後もまだ2、3試合あるわけですよね。最後の夏の大会で勝ち抜くためにコントロールのブレの修正と、スタミナ面を重点的に強化しました。ひとりで投げ抜かなきゃいけないのはわかっていたので」
元号が変わった90年代も、エースがひとりで投げる「昭和の根性野球」がまだまだ主流だった。そこに疑問を差し挟む余地はなかった。森尾は坂道ダッシュを何本も何本も繰り返した。
「でも、夏の大会前に練習試合で4連敗したんです。初めての経験でした。先輩たちの代もそういうことはなかったので」
甲子園での覚醒「打たれる気はしなかった」
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もっとも重要な夏の大会を前に、チームの状態はどん底にあった。森尾自身、調子が上がらないまま県大会に突入している。それでも、厳しい練習で培った地力は嘘をつかない。西日本短大附は勝つことでチーム力を上げていった。
「もうこれで大丈夫だ、とかもなかったですし、常に不安というわけでもない。とにかく勝って甲子園に行かなきゃいけないって思いだけですね。自分の調子が良いとか悪いとか、考える余裕がないし、感じたこともなかったです」
森尾は「良くも悪くもない状態」のまま、準々決勝、準決勝、決勝と3連投。心身の疲労などおくびにも出さず、決勝の福岡工大附戦の最終回に1点を取られるまで、51イニング連続無失点を記録した。
県大会は7試合で4完封、3失点。県大会からすでにミスターゼロの片鱗を見せていた森尾は、最後の夏にようやく念願の甲子園への切符を手にすることができた。
1992年の第74回全国高校野球選手権大会は、バルセロナ五輪の日程を考慮し、例年より遅い8月10日に開幕した。ラッキーゾーンを撤廃して迎えた、初めての夏の甲子園となった。
「初戦の高岡商業戦はかなり球が走っていたなと自分でも感じていました。打たれる気はしなかった。やってきたことが成果に表れて、調子がいいなと感じられたのがこの辺。甲子園まであまり時間はなかったんですけど、しっかり休養して、大会5日目。ベストの調子に持ってこられたと思います」
被安打2、12奪三振、2対0のシャットアウト。ほどよく疲労の抜けた森尾は自身最速の142kmをマークするなど、力感のないフォームからの真っ直ぐ、カーブ、スライダーがコーナーギリギリに決まり、対戦相手は手も足も出ない。
甲子園を揺るがす事件が起きたのは、その2日後だった。
<続く>

