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「自分の中で、ライバルは江川卓と決めました」非エリート・西本聖の“永遠のライバル”が入団した日…「僕もトレード候補だった、と聞いた」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byBungeishunju(2)
posted2026/08/01 11:00
ジャイアンツの2大エースとして一時代を築いた江川卓(左)と西本聖(右)。「永遠のライバル」関係の始まりを西本が語った
西本は少しずつ頭角を現す。1977年は47試合に登板(先発は7)して8勝5敗4セーブ、118回を投げて防御率は2.67。1978年は56試合に登板(先発は12)して4勝3敗2セーブ、129回3分の1を投げて防御率3.77だった。
「とにかく『投げろ』と言われたところで結果を残すことだけを考えていました。連投でもありがたかった。敗戦処理で登板した時に認められないと次のチャンスがもらえない。監督やコーチに信頼されて、先発を任されるピッチャーになりたいと思っていました。投げられる機会があれば、いくらでも投げるという気持ちでした」
その頃、江川は法政大学のエースとして勝ち星を積み重ねていた。4年間の通算勝利数は、六大学歴代2位の47勝に達した。
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「江川さんの記事は新聞に出ていたんだろうけど、全然目に入りませんでしたね。まったく別の世界の人。こっちは一軍に定着することに集中していましたから」
「空白の一日」と巨人のドラフト破り
1977年秋、江川にとって2度目のドラフト会議も、彼が期待したような結果にはならなかった。クラウンライターライオンズの1位指名を拒否し、1年間、作新学院の職員という立場でアメリカ留学した江川は、1978年11月22日に行われるドラフト会議の2日前に帰国した。巨人と契約を結ぶためだ。
そして11月21日、野球界の歴史に残る「空白の一日」の契約発表によって、日本中が大騒ぎになった。翌日、ボイコットした巨人を除く11球団でドラフト会議が行われ、阪神タイガースが江川を1位指名。“球界の盟主”である巨人による“ドラフト破り”は反発を呼び、批判が集中した。矛先は球団だけでなく、当の江川にも向いた。


