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“霊長類ヒト科最強の男”マーク・ケアーとは何者だったのか?「異常に発達した僧帽筋…ヒクソンしか勝てない」誇張ではなかったUFC時代の“本当の強さ”
posted2026/07/05 11:20
「霊長類ヒト科最強の男」と呼ばれたマーク・ケアー。その全盛期といえるUFC時代は、どれほどの強さだったのか
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長尾迪Susumu Nagao
photograph by
Susumu Nagao
「霊長類ヒト科最強」が誇張ではなかった時代
エメリヤーエンコ・ヒョードルが「60億分の1の男」として仰ぎ見られるより前の時代、鎧のような筋肉をまとい、「霊長類ヒト科最強の男」と称された格闘家がいた。その頃、総合格闘技は今日のようにMMA(ミックスド・マーシャルアーツ)ではなく、ノー・ホールズ・バード(英語で禁じ手なし、無制限の意味)やバーリトゥード(ポルトガル語で何でもありの意味)と呼ばれていた。
男の名をマーク・ケアーといった。
デビューから連戦連勝を重ねたケアーは、格闘技関係者から脚光を浴びた。ある一時期までは、「霊長類ヒト科最強」という表現が誇張とは思えないほどの輝きを放っていた。
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4歳からレスリングを始めたケアーは、高校時代にオハイオ州の王者となり、大学では全米選手権を制するなど、アマチュアレスリングのエリートコースを歩んでいた。1992年のバルセロナ、1996年のアトランタと五輪への出場を目指すが、結果的にアメリカ代表にはなれなかった。
アトランタ五輪への道が閉ざされたケアーは、自らの進路を総合格闘技に定めた。友人であり、兄貴的な存在でもあるマーク・コールマンのUFCでの活躍に刺激を受けたのだ。1997年1月、28歳のときにブラジルのサンパウロで開催された『World Vale Tudo Championship 3』でプロデビュー。この大会は目潰しや噛みつきなどを除く「何でもあり」の過酷なルールで、試合はベアナックル(素手)で行われた。ケアーはヘビー級離れしたスピードと破壊的なパワーで並み居る腕自慢をねじ伏せ、8人によるワンデイトーナメントを制した。

