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「ステロイドと薬物を常用している」霊長類ヒト科最強の男に黒い噂…“北の最終兵器”との戦い「ケアーの様子がおかしい」カメラマンが撮影した衝撃の結末
posted2026/07/05 11:21
“北の最終兵器”イゴール・ボブチャンチンの上をとるマーク・ケアー。このあと、衝撃のシーンが生まれた
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長尾迪Susumu Nagao
photograph by
Susumu Nagao
「あのK-1王者や高田延彦にも勝利」11連勝の内訳
1998年に入り、マーク・ケアーはUFCからPRIDEへと戦いの場を移すことになった。
当時のアメリカにおいてUFCは「暴力的で野蛮なスポーツ」と見なされ、全米のPPVから締め出された。大会もアスレティックコミッションのない、限られた州でしか開催できなかった。選手のファイトマネーも安く、ファイターの日本への流出は止められなかった。
当初ケアーのPRIDEデビューは1998年1月の予定で、相手はUFCのトーナメントを3度制したホイス・グレイシーに決まっていた。しかし、ホイスの負傷により3月15日に延期され、最終的に対戦相手も初代K-1王者のブランコ・シカティックに変更。UFCとK-1の王者対決は前評判こそ高かったが、その内容はシカティックの度重なるロープ掴みによる反則でケアーの失格勝ち。2分14秒と短い試合の中に格闘技らしい攻防はなく、観客席からため息とヤジが巻き起こり、ケアーにとっても不満の残る初陣となった。
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この年のケアーは6月、10月とPRIDEに連続出場した。6月の『PRIDE.3』では元横綱・双羽黒の北尾光司に勝利したこともあるペドロ・オタービオを相手に、チキンウィングアームロックで一本勝ち。10月の『PRIDE.4』ではヒクソンとリオデジャネイロのビーチで大喧嘩をしたウゴ・デュアルチを戦意喪失に追い込み、TKO勝利。翌1999年の7月には高田延彦からも関節技で勝利を収め、デビュー以来の連勝を11に伸ばした。
余談になるが当時のケアーの戦歴を見て、対戦相手に恵まれていた印象を受けるのは私だけだろうか。高田戦までの11連勝のうち10勝がKOもしくは一本勝ちというのは確かに驚異的であり、短時間で試合を終わらせていることも彼の強さを表している。だが、UFCでもPRIDEでも、結果的に歴史に名を残すような強豪との試合は組まれていない。


