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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「これは、もう野茂英雄が残ることはないよな」1994年の近鉄で石井浩郎が感じていた“不断の対立”とは「なんか、お払い箱みたいな扱いでしょ」
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byKoji Asakura
posted2026/07/01 11:29
鈴木啓示監督率いる近鉄では特に投手陣と首脳陣との溝が深まっていた。主砲・石井浩郎はそんな状況を間近で見ていただけに……
「ホントにぶつかっていましたよ。93年までは立花がいたから、立花が間に入ってうまいこと、やってくれていたんですよ。立花も大変だったと思いますよ。でもそれで立花は(近鉄を)出されちゃったんでしょ? それからはもう“直接”ですよ。
メジャーというか、今、世界的にはこういう流れだよ、というトレーニングを立花が導入して、ピッチャー陣はみんな、それに心酔していたときにまた、昭和のやり方に戻っちゃったので、それこそみんな、もうガクッとなったわけですよ。野手に対してはあまり鈴木さんも言ってこられなかったので、そんなに別に何ともなかったんですが、傍から見ていてもピッチャーは大変だな、という風には見ていました」(石井)
これはもう野茂が残ることはないよな
そうしたチーム状況、鈴木と投手陣との不和ぶりを間近に見ていたからこそ、1994年のオフ、石井は野茂に対して「近鉄で、一緒に頑張ろうや」と説得する一方で「これは、もう残ることはないよな」という、相反した感情が芽生えたのだという。
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「もう、そんな雰囲気じゃなかった。だから、後はもう、野茂がどこに行こうと応援しようという気持ちで、当時はいたんです。阿波野にしても、あれだけ投げまくって、あの『10・19』とか、近鉄に貢献してきたのに、なんかお払い箱みたいな扱いでしょ?
野茂にしたって、複数年契約を要求してダメだった。そんなの、複数年やっとけばいい話じゃないですか。我々はもう、次の世代の人たちが同じ扱いをされると困るという思いで、ずっと見ていたんです」
石井は96年の開幕直後に左手有鈎骨の骨折で手術を受け、シーズンでもわずか2試合の出場に終わった。すると、オフの契約更改交渉で年俸1億2750万円(推定)から、減額制限の30%(現在は40%)を大幅に超える61%ダウンとなる年俸5000万円、プラス出来高払いを球団側に提示されたことで交渉は難航。石井は球団への不信感を募らせていく。
〈つづく〉
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