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「これは、もう野茂英雄が残ることはないよな」1994年の近鉄で石井浩郎が感じていた“不断の対立”とは「なんか、お払い箱みたいな扱いでしょ」

posted2026/07/01 11:29

 
「これは、もう野茂英雄が残ることはないよな」1994年の近鉄で石井浩郎が感じていた“不断の対立”とは「なんか、お払い箱みたいな扱いでしょ」<Number Web> photograph by Koji Asakura

鈴木啓示監督率いる近鉄では特に投手陣と首脳陣との溝が深まっていた。主砲・石井浩郎はそんな状況を間近で見ていただけに……

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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Koji Asakura

1995年、野茂英雄は海を渡りドジャースに入団。彼が切り開いた道が、のちのイチロー、松井秀喜、松坂大輔、そして大谷翔平までつながった。しかしそれはなぜ可能になったのか? 野茂が“革命”を起こす前年に近鉄で起きていたことを当時の関係者の証言で丹念に解き明かしたノンフィクション書籍『革命前夜 追憶の近鉄バファローズ1994』が発売となった。野茂が結局日本球界を去る決断の一因となった、近鉄のちぐはぐな対応。そして主砲・石井浩郎がかけられた「とんでもない言葉」について、本書から紹介する。〈全2回の1回目/後編へ

 野茂がドジャース、阿波野秀幸が巨人、吉井理人はヤクルト、金村義明も中日へ移籍するなど、近鉄を長く支えた投打の主力がこぞっていなくなった1995年、鈴木近鉄は開幕から低迷が続いた。

 右かかとを痛めた石井は、当時日本記録だった阪神・掛布雅之の「361試合連続4番打者先発出場」を6月8日に更新しながら、その達成翌日の9日に出場選手登録を抹消。ラルフ・ブライアントも右ひじ手術のため6月に帰国すると、その年限りで近鉄を退団することになる。

「投げ込め、走り込め」と真逆のコンセプト

 投打の主力を欠いた3年目の鈴木近鉄は、当時14年ぶりとなる「借金20」と、それこそ挽回不能なレッドゾーンに突入。94年オフに近鉄選手会長に就任していた石井は、鈴木と投手陣との“不断の対立”が、当時のチームに大きな影響を与えていたことを否定しなかった。

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「鈴木啓示さんは、やっぱりピッチャーなんでね。私がよく聞かされたのは『今のピッチャーは投げ込まん。俺は毎日300球投げて317勝や。今の若いモンは、なんで50球しか投げないんだ』って。でも、それを言われても、我々、困るじゃないですか」

 投手の肩は消耗品。仰木監督時代の投手コーチ・権藤博、そして野茂をはじめとした投手陣が絶大の信頼を置いたコンディショニングコーチ・立花龍司(93年限りで近鉄退団)が持ち込んだ、その当時としてはまさしく“最先端のコンセプト”が、これだった。鈴木の「投げ込め、走り込め」の投手イズムとは、まさしく真っ向から対立していた。

【次ページ】 これはもう野茂が残ることはないよな

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