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「なんで俺だけ」大橋ジムと突然の契約終了…世界ランカー平岡アンディ29歳の本音「気持ちがピタッと切れた」世界戦延期、度重なるトラブル 

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栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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posted2026/06/18 11:04

「なんで俺だけ」大橋ジムと突然の契約終了…世界ランカー平岡アンディ29歳の本音「気持ちがピタッと切れた」世界戦延期、度重なるトラブル<Number Web> photograph by Shimei Kurita

今年3月、10年間所属した大橋ジムを離れた平岡アンディ(2026年4月撮影)

 初めて世界戦の切符を掴んだのは2024年の9月だった。井上尚弥対テレンス・ジョン・ドヘニー戦の前座としてリングに上がった平岡は、イスマエル・バローゾとのWBA世界スーパーライト級挑戦者決定戦で2度のダウンを奪い完勝。ホセ・バレンズエラが持つ王座への挑戦権(当時)を獲得した。

 しかし、ここからが長い日々だった。タイトル戦のマッチメイクがなかなか行われなかったのだ。平岡の階級となると、日本に世界王者を招いて興行を打つには巨額の費用が伴う。アウェイの地でタイトルマッチを行うことが現実的だが、それもハードルが高かったと推察される。

 挑戦権を得てから1年以上が経過した2025年11月、ようやくゲイリー・アントゥアン・ラッセルとのマイアミでのタイトルマッチが発表される。しかし、同じ興行でメインを務める予定だったジャーボンテイ・デービスの不祥事により延期に。試合に向けて極限まで体を追い込み、万全なコンディションを作った自負があった。しかしそれも水泡に帰し、心身ともに負担を強いられた。

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 ボクサーにとって一番辛いのは脂が乗っている時期に試合が出来ないことだ。試合が決まりそう。ダメだった。そんな報告に一喜一憂した日々の心境を平岡はこう振り返る。

「バローゾとの試合が終わって、すぐ試合が決まると思っていました。なかなか決まらず、ようやく決定した(昨年)11月のラッセル戦も流れた。他のカードは全部翌月にスライドされたのに、僕の試合だけ延期の日程が決まらなかった。『なんで俺だけ』と、この辺りから焦りが生まれて、練習に全く身が入らなくなった。ずっと二人三脚でやってきたトレーナーの親父(ジャスティス・コジョ)も、僕の心中を察してか何も言わなかった。あんな親父を見るのも初めてでしたね……」

度重なるトラブル「もう試合は無理だろうな」

 今年の2月21日になってようやくラスベガスでラッセルとの世界戦が実現した。延期を経て臨んだラッセル戦は、平岡にとって約1年半ぶりの実戦のリングだった。対戦相手はおろか、国内では同級にスパーのパートナーを探すことすら苦労するため、事前の準備など調整には万全を期したつもりだった。だが、ビザの関係などで現地入りを果たしたのは、試合のわずか2日前。乗り継ぎの飛行機にも乗り遅れるなどのトラブルにみまわれ、さらに減量への不安から機内では水すら口にできなかった。トレーニングどころか、体重の調整すらできなかった。

「正直、もう試合は無理だろうな、この調整では試合は出来ないだろう、と思っていました」

 体重は前日までは250gオーバー。そこから水抜きをして、何とか計量はパスした。ただし、とてもフルラウンドを戦えるコンディションとはいえなかった。それでも覚悟を決めた平岡だったが、リングに上がると今までにない感覚を味わった。

「もうどうにでもなれと吹っ切れた、というか、もはやキレてる感覚ですね。基本、私はスマートなボクシングスタイルを好むんですが、もう精神論の世界というか、『やってやるよ。チャンピオンを食ってやるよ』みたいなアンダードッグ的な気持ちでした」

【次ページ】 「ラッセル相手では厳しい」下馬評を覆す善戦

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