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天才少年扱いが一転「平均的。全然ダメ」な中学~高1だったが…高2でJリーグ内定「オファー、本当に来た」W杯日本代表DF鈴木淳之介が覚醒した夏
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佐藤景Kei Sato
photograph byKiichi Matsumoto,Yohei Osada/AFLO
posted2026/06/13 17:01
鈴木淳之介は帝京大可児高2年生時にJリーグ湘南内定をつかんだ
「ある程度、プレーできるようになったのは、個人でみっちり練習したからかもしれません。1年生の終わりから2年にかけて、コロナ禍に入って学校が休みだったり、部活動ができなくなりました。なので家で一人で走ったり、自然と自分の弱みを補うような練習をすることになりました。結果的に、そういうところで伸びていった側面があったのかもしれません」
地道な努力が実を結び、走れない選手は走れる選手へと変貌を遂げる。すると時を置かずに、転機が訪れる。2年生の夏のことだ。石川県で行われる和倉ユースサッカー大会がその舞台になった。
帝京大可児の攻守の中心として才能を発揮し、チームを勝利に導くとともに、そのプレーで見る者の目を引きつけた。
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「なんかすごく調子が良かった大会でした。それがなぜかと言われても、自分でもわからないです。覚えているのは当時、仲井(正剛)監督に『ベルマーレがお前のことを気にしているぞ』と言われたこと。冗談半分に受け取っていたんですけど、そういう話もあって、この頃にはちょっとずつ自信を持ち始めていました」
地元大学への進学希望が一転、プロへ
出る試合、出る試合で存在感を示すと、大会後、実際に湘南ベルマーレの練習に参加する運びになった。1年時には出番がなく、決して目立つ存在ではなかった選手が、翌年にはプロの練習に参加することになったのだ。
そして淳之介は、結果を出し、チャンスをつかむ。
「練習参加のときもすごく調子が良くて、もう出すパス、仕掛けるドリブルがすべて抜けていく感じでした。だから、これはオファーが来るだろうなと思ったんですけど、そうしたら『本当に来た』って感じで(苦笑)」
自分でも驚くほど好調なプレーぶりで、高校2年時の全国高校サッカー選手権の前という、異例のタイミングで卒業後のプロ入りが内定した。
数年後、淳之介は初代表から1年でワールドカップメンバー入りを果たすという驚きのストーリーを書き上げるが、高校時代にも、本人すら予想だにしなかった展開を実現していた。
「高校では想像していたよりも成長できたと思います。大学もサッカーで行こうと思っていて、地元での進学を考えていました。でも、いきなりそういうレベルになったんだというか、それは自分でも驚きでした。一番最初に話をくれたのが湘南だったので、湘南にプロ入りを決めて。もちろん、プロ入りが決まってからは、それなりにプレッシャーもありました」
最初のキャンプで…これは出られないだろうなと
本人はそう語るが、2年時、そして翌3年時にも高校選手権に出場した淳之介は、ボランチとして攻守両面で好プレーを連発すると、2年連続で優秀選手に選ばれた。とくに印象深いのが、ボールを持ったときの落ち着きと、相手の逆を取る動きだ。

