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「僕はそれが一番嫌だった」武尊がかつて明かしていた“ある思い”…引退会見で「裏方でもなんでもやる」まっすぐな格闘家が貫いた“格闘技への愛”

posted2026/05/16 11:05

 
「僕はそれが一番嫌だった」武尊がかつて明かしていた“ある思い”…引退会見で「裏方でもなんでもやる」まっすぐな格闘家が貫いた“格闘技への愛”<Number Web> photograph by Susumu Nagao ONE Championship

4月26日、引退試合でロッタンに勝利した武尊

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橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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Susumu Nagao ONE Championship

「野球、サッカーにも負けたくないですよね。野球選手より稼いで、サッカー選手よりモテたい(笑)。そういうのも夢があるじゃないですか」

 2015年11月に行ったインタビューで、武尊は筆者にそう語っていた。新生K-1で初めてのタイトルを獲得した年だ。それから10年あまり経った2026年5月1日、引退記者会見で彼は言った。

「格闘技は痛みや苦しさを見せて、その上で勝って勇気を与えられるスポーツ。こんなに素晴らしいものをなくしちゃいけない。野球やサッカーやバスケットボールに負けないパワーがあるんですから。この熱をなくしてほしくない。格闘技(界)が一つになるなら、僕は裏方でもなんでもやります。これからも一緒に盛り上げましょう」

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 あらためて思う。彼はずっと同じことを考え、訴え続けてきたのだ。はじめは若者らしいストレートな野心だったが、次第に業界全体へのメッセージになっていった。

武尊の目的は“稼ぐ”ことではなかった

 ラストマッチであるロッタン戦(4月29日『ONE SAMURAI 1』有明アリーナ大会)が地上波で中継されることを、武尊はとても喜んでいた。地上波テレビはいわゆるオールドメディアであり、現在は有料ネット配信がビジネスの主戦場だという指摘もあったが、そういうことではない。実際、試合の生中継はU-NEXTで行われている。

 試合に向けた会見で、武尊はこう言った。

「ネットで見るのは格闘技が好きな人。でも地上波ではたまたま見るということがあるので」

 武尊が求めていたのは“1円でも多く稼ぐ”ことではなかった。“1人でも多く、不特定多数に格闘技の魅力に気づいてもらう”ことだった。彼の言葉はたどってきたキャリア、もっと言えば人生と大きな関係がある。日本格闘技界の歴史ともリンクしている。

 生まれたのは1991年。彼のヒーローの1人であるアンディ・フグが初めてK-1 GPで優勝したのが96年で、この年にフジテレビでのゴールデンタイム放送も始まった。武尊の少年時代はまるごとK-1全盛期と重なるわけだ。魔裟斗が中量級のK-1 MAX世界トーナメントで優勝した2003年は小学6年生。

 鳥取県で生まれ育った子供にとって、“憧れ”とテレビで出会うのは当時の自然な流れだった。強さにも輝きにも憧れた。

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