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「僕はそれが一番嫌だった」武尊がかつて明かしていた“ある思い”…引退会見で「裏方でもなんでもやる」まっすぐな格闘家が貫いた“格闘技への愛”
text by

橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph bySusumu Nagao ONE Championship
posted2026/05/16 11:05
4月26日、引退試合でロッタンに勝利した武尊
「どこで負けてもおかしくないのに勝ってきた」
「ボディガードをつけないと街を歩けないくらいになりたい」
これは新生K-1が始まる前、Krushでの初のタイトルマッチに向けてインタビューした際の言葉。少年時代、たまに地元に来るプロレスの地方巡業が楽しみだったこともこの時に聞いた。地方ではスポーツのプロや芸能人になりたいという子供らしい夢を持つことにも抵抗が出てしまう。そんな雰囲気を変えたいとも言っていた。
高校生年代の大会『K-1甲子園』で敗れたことをきっかけに、武尊は上京を決意する。ただこの時には旧K-1が崩壊、PRIDEも活動を休止し、日本での格闘技への注目度が一気に下がっていた。強くなって結果を出せばスターになれるという時代ではなくなっていたのだ。夢を見るのではなく、夢を作り出すところから武尊のプロ格闘家人生は始まった。
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新生K-1の土台となるKrushでの初の試合は2011年9月。2014年にスタートした新生K-1では3階級を制覇した。武尊をはじめKrushの中心選手が牽引し、新生K-1は軽量級が花形となった。武尊はスーパー・バンタム級(55kg)、フェザー級(57.5kg)、スーパー・フェザー級(60kg)と3階級でチャンピオンベルトを巻く。
K-1では24連勝。KOは15。常に真っ向勝負の打ち合いでファンを熱狂させた。リスキーな殴り合いを厭わず、なおかつ勝ち続ける。ジムの先輩である卜部功也が、それがいかに特別なことなのかを語ってくれたことがある。
「武尊は前に出て倒しにいくスタイルだから隙もできてしまう。メチャクチャなことやってるんですよ。普通なら防衛本能が働いて“ここでいっちゃダメだ”ってなるところでいけちゃう。普通の感覚じゃないです。なのに勝ち続けたのはちょっと異常ですね。神がかりです。どこで負けてもおかしくないのに勝ってきた」
実現しない天心戦…誹謗中傷を浴びていた
新メディアABEMAでの中継とともに、武尊は躍進していく。ただ勝利を重ねても、その表情は憂いを帯びていった。原因は言うまでもなく、那須川天心との試合が実現できないことだった。
2015年、K-1王者になった武尊に、競合イベントRISEでスターへの道を走り始めた那須川が対戦表明。武尊の返答は当初「僕とやりたいならK-1へ」だった。それが始まって間もない団体の方針で、武尊はK-1を大きくすることが最大のミッションだった。

