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「高田さんが危ない。いつ殺し合いになるか…」高田延彦vsバービック試合直前の“大事件”にUインターが揺れた日「死ぬ可能性もある」医師は告げた
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堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ新聞社
posted2026/05/16 11:03
「試合放棄」後に控室で髙田延彦を非難するトレバー・バービック
アントニオ猪木がモハメド・アリとリアルファイトをやったという史実があるのであれば、Uインターも元ボクシング世界王者で“アリを倒した男”とリアルファイトを行なう。Uインターは70年代の新日本を表面上真似るのではなく、その精神もよみがえらせようとしていたということだ。
「Uインターを旗揚げしたとき、二つの大きな指針があったんですよ。まず、新生UWFの頃のようにプロレスを否定するのではなく、原点回帰でプロレスの素晴らしさを見せていくということ。それからもう一方で、できればマイク・タイソンクラスの大物を連れてきて、その選手を倒すことによって、プロレスの強さを世間に認知させていくという、その両輪でやっていこうというのが、Uインターのコンセプトだったんです。
そういう意味で、Uインターは最初から“こっち(シュート)”でもやるよ、ということを打ち出していて、その1発目がバービック戦だったということです」(髙田延彦/『証言UWF 完全崩壊の真実』宝島社)
バービックが選ばれた本当の理由
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髙田vsバービックが実現した経緯を、当時のUインター渉外担当で現在は佐山聡が主宰するストロングスタイルプロレスの国際部長を務めるテディ・ペルクはこう語る。
「Uインターでボクは、スタンディングバウトに出場する選手のブッキングをおこなっていて、ボクシングやキックボクシング関係にルートがあったんです。当時はいまみたいなMMAがまだ存在しない時代だったから(註・UFCがスタートするのはこの2年後)、プロレスが最強だっていうのを見せるには、他の格闘技と異種格闘技戦をやる必要があったんですよ。その中で、ボクシングのヘビー級チャンピオンというのは、一番最強のイメージを持っていたので、ある意味、他に選択肢はなかったですね。
最初の髙田さんの対戦相手として考えていたのは、バービックではなくマイク・タイソンだったんです。当時のタイソンは世界中の人から“最強”と思われていましたから。それで実際に交渉もしたんですけど、タイミングが悪かったんですよね。ちょうどその前の年の東京ドームで、タイソンはジェームス・“バスター”・ダグラスに負けていて、リング外でもいろいろ問題を抱えていた。
それで『だったら、最強のイメージはないけど、タイソンに勝ったバスター・ダグラスしかいないんじゃないか』って、招聘に動き出したんですよ。ただ、実際に調査してみたら、コンディションが良くなかったんです。あまりにも太りすぎていて、とてもじゃないけど試合ができる状態じゃなかった。まあ、タイソンに勝って、あれだけの大金が入ったらしょうがないですけどね」

