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猛練習で“新入部員0人”「ショック…両耳から耳鳴りが」甲子園出場“5年前の事件”、33歳監督の挫折…高知農業が21世紀枠で選ばれた本当の意味
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井上幸太Kota Inoue
photograph byKota Inoue
posted2026/04/04 11:01
5年前の新入部員は0人…高知農業が甲子園出場を果たすまで
卒業後は、東京農大に進み、“戦国東都”で揉まれた。農業の教員免許を取得し、大卒直後に高知農に赴任すると、間もなく監督に就任。若さも情熱も、一級の環境で身に付けた知識もある。「バリバリ動けたし、目線は東都」だった下坂は、選手たちに猛練習を課した。下坂が自嘲する。
「今20代後半の当時の生徒らと、この前飲みに行ったんです。もう、悪口ばっかりですよ(笑)。『あのときはこうだった!』とか、なんじゃ、かんじゃ。『本当に練習がキツかった』って」
一日のスイング量は多いときで1500本。雨の日はグラウンド両翼のポール間走を60本、下坂が「ユニフォームを濡らすなよ!」とハッパをかけながらの手押し車。教え子たちの「キツかった」は、誇張なしの本音だろう。
新入部員が消えて…「耳鳴りに」監督の挫折
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就任当時は3学年で約40人の選手がおり、公立校としては申し分ない規模だった。その選手たちを圧倒的な練習量で鍛えたはずが、公式戦では初戦突破をするのがやっと。猛練習で結果がでないとなると、選手のフラストレーションは溜まる一方だ。
「もっと上手くなってほしいという思いで、目線は落としていたつもりが、僕の求めるものが高すぎた。だから、子どもたちが理解できない。ミスをする、僕が怒る。悪循環ですよね」
練習はキツいのに、試合では勝てない。次第に中学生の目が向かなくなる。農業校という専門性の強い学校の特性から、生徒数そのものも減少するという逆風もあった。2020年夏に当時の3年生が引退すると、選手は2学年でわずか11人に落ち込んだ。
決定打は、その翌年に訪れる。忘れもしない、2021年4月7日。入学式後の部活動勧誘だった。
「入部希望者のユニフォームの採寸もできるように、メーカーの方にも来ていただいていたんですけど、誰一人として来ない。部員たちもすっごくしょげてしまって」
衝撃の入部希望者0。メーカーの担当者に平謝りし、選手たちを「学校が始まってから、集めていこう」と慰め、学校から少し離れたグラウンドに向かった。
砂利が敷かれた駐車スペースで、遠くの山を見つめながら、頭を整理する。だが、「これは“めった”(高知弁で『困った』の意)」と、ネガティブな感情が脳内を埋める。そのときだ。
「両耳から耳鳴りがしました。ショックが大きすぎて。夏に8人の3年生が抜けたら、2年生3人しか残らない。11人で夏に爪痕を残すしかない。そこから1カ月は引きずってましたね」
いかにして立て直していったのか。
〈つづく〉

