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「残念ながら現時点では…」北中米W杯で松木安太郎さんが解説しないって本当なの? 本人に直撃「松木のいないW杯なんてミルクのないコーヒーだ、って」 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byYuki Suenaga

posted2026/03/02 11:00

「残念ながら現時点では…」北中米W杯で松木安太郎さんが解説しないって本当なの? 本人に直撃「松木のいないW杯なんてミルクのないコーヒーだ、って」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

このままでは日本が出場し始めて以来初めて、「松木安太郎が解説していないW杯」が行われることになってしまう!?

 その後1984年にA代表デビューを飾り、森孝慈監督のもと定位置をつかんでいく。1986年のメキシコワールドカップに向けたアジア予選では1次、2次を突破して本大会出場権を懸けて韓国代表との最終予選に臨んだ。木村和司の「伝説のフリーキック」は今なお日本サッカー界の名シーンだが、2試合合計1-3で本大会には届かなかった。当時は西アジアと東アジアに分かれ、それぞれ1枠のみ。松木も唇を噛むしかなかった。

「ワールドカップに出場した韓国が初戦でアルゼンチンに力負けしたのは、とても残念だった。俺らが行っていたらどうだったんだろうって、比較対象でもあったからね。期待して見ていたんだけど……」

 ドイツで感じた、世界の舞台でも日本はやれるという思いをずっと心に宿しながらも、ワールドカップのピッチに立つことはできなかった。アジアと世界の差がどれほどなのか、つかみ切れないもどかしさがあった。

日本初出場に解説席で身震い

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 1990年に現役引退すると、JSLのコーチ研修でイタリアワールドカップを視察してアリゴ・サッキらの講義を受けたという。その後Jリーグが開幕し、30代半ばながらカズ(三浦知良)、ラモス、北澤豪らタレントがそろうヴェルディ川崎の監督に就任してリーグ2連覇を達成。

 退任してからはサッカー解説者を務めていたが、日本が初めてワールドカップに出場する1998年のフランス大会時は、セレッソ大阪の監督だった。就任前に本大会における解説のオファーを受諾していたことで、大会期間は中断に入るとあってクラブも承認しての契約であった。何だかんだとワールドカップにいつも引き寄せられていく。

 フランス南西部の都市トゥールーズは、日本のサポーターで溢れていた。スタッド・トゥールーズのピッチに、君が代が流れた。最初に生のワールドカップを見た1974年の西ドイツ大会で「ここに出たら日本サッカーが変わる」と感じてから24年。君が代を聞きながら解説席で身震いする松木安太郎がいた。

〈全2回の1回目/後編に続く

#2に続く
「ファウルだろ!」「ふざけたロスタイム」松木安太郎の“松木節”解説はなぜ生まれたか「W杯優勝には選手だけじゃない、すべての力が必要」

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