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サムライブルーの原材料BACK NUMBER
「残念ながら現時点では…」北中米W杯で松木安太郎さんが解説しないって本当なの? 本人に直撃「松木のいないW杯なんてミルクのないコーヒーだ、って」
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byYuki Suenaga
posted2026/03/02 11:00
このままでは日本が出場し始めて以来初めて、「松木安太郎が解説していないW杯」が行われることになってしまう!?
「西ドイツと東ドイツが同じグループに入って試合をする日の昼どきに、レストランで食事しながらテレビで試合を見ようってなったんです。そうしたら町のどのレストランも閉まってて。歴史的な試合なんだから、店をオープンする場合じゃなかったんだよね。ワールドカップってそういうものなんだって理解できたね」
人々が仕事よりも優先する、世界最大のスポーツイベントの魅力と威力。夢舞台ではあったが、現実離れしているほどの距離を松木は感じなかったという。
西ドイツ代表だって、手の届く距離にある
「毎年のようにドイツに行かせてもらっていて、ボルシアMG(メンヘングラートバッハ)やケルンで練習に参加させてもらったりしましたからね。あのときのメンヘングラートバッハにはライナー・ボンホフがいて、ベルティ・フォクツがいて、あとヘルベルト・ヴィマーもいたね。みんな西ドイツのワールドカップ優勝メンバーでしょ。だからどこか身近に感じていたんだよね。
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のちに西ドイツ代表として活躍するウリ・シュティーリケもいた。でも一緒に練習をやっていても、俺のほうが全然うまいと思っていたくらい。帰国したら彼がサッカー専門誌の表紙になっていたから、えっ、そんな選手なのってびっくりしたことを覚えてますよ。フォクツだって体格は僕と同じくらい。別に強烈な印象を持ったわけでもなかった」
頑張れば、世界は手の届く距離にある。松木少年が抱いた正直な感想だった。松木はバルコムのもと18歳でJSL(日本サッカーリーグ)デビューを果たし、キャプテンとして読売クラブの全盛期をけん引する立場となる。
「1982年のスペインワールドカップのときは、読売クラブで中国に遠征していたんだよね。スタジアムに6万人くらいのお客さんが集まったなかで昼に試合をして、ホテルに帰ってからラモス(瑠偉)らと一緒にワールドカップを見て、盛り上がったなあ。確かそのときの日本代表はちょうどスペインに遠征していて、(加藤)久ちゃん、都並(敏史)、戸塚(哲也)たちがメンバーに入っていたはず。うらやましい、俺も行きたかったなって思ったから」

