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「北海道の子は、ずるいな」大阪生まれの“サンテレビのAD”が、ミラノ五輪に出るまでの苦悩…モーグル・藤木豪心が明かす「電話越しに父が泣いた日」 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAFLO/サンテレビ提供

posted2026/02/13 11:01

「北海道の子は、ずるいな」大阪生まれの“サンテレビのAD”が、ミラノ五輪に出るまでの苦悩…モーグル・藤木豪心が明かす「電話越しに父が泣いた日」<Number Web> photograph by AFLO/サンテレビ提供

モーグル日本代表として、ミラノ・コルティナ五輪の舞台に立った藤木豪心

 コブへの怖さはまったくなかったと言う。

「平らな斜面を滑るよりもコブを滑る方がわくわくする、楽しい、と子どものときから思っていました。チャレンジするのが性格的にも好きだったというか、どちらかといえばモーグル向きの性格だったかもしれないですね」

 やがて大会にも出て、選手としての第一歩をスタートする。ただ、雪国育ちの選手とは練習環境が大きく異なることは変わらない。 

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「スキー場の麓に住んでいる子、例えば北海道の子とかは学校が終わってからスキー場に練習に行ける。うらやましいな、ずるいな、というのはありました」

 と振り返りつつも、このように付け加えた。

「子どものときは車に乗って起きたら長野に着いている感じで、頑張ってくれたのは父親で、何の不自由も感じさせないようにやってくれました。そのおかげで、そこまで『ずるいな』とか思うことはなかったかもしれません」

支えてくれた父は、電話越しに泣いていた

 中学3年生でナショナルチームに選ばれる。大阪市内にある桃山学院高校3年生だった2016年2月、田沢湖で開催された大会でワールドカップデビューを飾った。

 その翌シーズンから海外のワールドカップ遠征メンバーにも選ばれた。

「段階ごとに出会いがあって、成長できたのが大きいと思います」

 例えば、と語る。

「中3でナショナルチームに入りましたが、受験勉強に打ち込んでいて、その間にほかの子がぐっとモーグルの成績が伸びました。そのとき加藤大輔さんという選手だった方に弟子入りして教わるようになって、滑りの質が変わりました。ワールドカップに初めて出たときも一緒にめちゃめちゃ喜んでくれました」

 その都度その都度の出会いが支えに、後押しになった。

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