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「口ベタで、失敗続きだった」青学大・原晋監督の“知られざるサラリーマン時代”…なぜ「伝説の営業マン」になれた? 箱根駅伝の常勝軍団を作った“会話術”
text by

原晋Susumu Hara
photograph byAFLO
posted2026/01/04 06:01
青学大・原晋監督の“知られざるサラリーマン時代”とは?
「もっと明るくしたらどうや」おせっかいを焼くワケ
一方で、根の性格が暗いと感じた子には、ドストライクに「オマエ、暗いなー」と言います。「明るいほうがモテるんだから、もっと明るくしたらどうや」と、おせっかいを焼きます。
そんなことを言って学生が傷つかないのか、と聞かれますが、正論を告げるのはむしろその子のためでもあるのです。暗いよりは、少しでも明るくしていたほうが、大学のキャンパスでも友だちをつくりやすいでしょう。
私に託された仕事は、ただ駅伝を勝つだけではありません。教育者として、学生たちに生活面での指導をすべき立場にあります。競技面だけでなく、人としても成長してほしいから、ときに父親になった気分で声をかけるのです。
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暗さを指摘した学生には、こう言葉を続けます。
「今度はオマエに何かオモロイことをしゃべらせるからな、準備しとけよ」
「口下手も、機会を積めばちゃんと上手になる」
もちろん脅しているのではありません。期待を込めて、明るい口調で語りかけるのです。学生もそう言われれば、何か考えざるを得ないでしょう。
そして、ある程度時間が経ったら、今度はまたこちらから話しかける。「どうや、オモロイ話はできたか」と聞いて、再度学生の反応を見ます。「うーん、まだまだ」「おっ、ちょっとオモロイな、今のは」。こんなやりとりを経て、次の会話の機会をつくっていくのが私流のやり方なのです。
根が暗い子がそう簡単に変われるのか、と思うかもしれませんが、素の姿など自分でも案外よくわかっていないものです。口下手もただヘタなだけであって、機会を積めばちゃんと上手になるのです。
「実は口下手だった」原監督のサラリーマン時代
今の姿からは想像しにくいと思いますが、実はサラリーマン時代の私も口下手でした。
少し昔話をすると、中京大学を卒業した私は、地元広島の大企業である中国電力に就職します。1989年に陸上競技部が創設されて、その栄えある1期生に選ばれたのです。大学時代には日本インカレの5000mで3位入賞をしたこともありましたから、実業団駅伝で活躍することを見込まれたのでしょう。
ところが、入社1年目に足を捻挫して以来、実業団時代の私は散々でした。ケアを怠った結果、後々までそのケガの影響が響いて、大した活躍をすることなく実業団選手をたった5年でクビになったのです。
その後、新たに配属されたのが、東広島にある営業所でした。
