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広岡達朗93歳が語った「老いること、死ぬこと…」書籍『正しすぎた人』作者はなぜ広岡に魅了されたのか? 胸に響く「人間はいくつになっても勉強だよ」 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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posted2025/12/23 17:09

広岡達朗93歳が語った「老いること、死ぬこと…」書籍『正しすぎた人』作者はなぜ広岡に魅了されたのか? 胸に響く「人間はいくつになっても勉強だよ」<Number Web> photograph by KYODO

好評発売中の書籍『正しすぎた人』(文藝春秋)。作者が綴る「46歳と93歳、2人の広岡達朗」の魅力とは

 そうと決めたものの、ずっと「本当にこれでいいのだろうか?」「今ならまだ引き返せるのでは……」と、書き終わるまでずっと悩み通しの日々が続いた。いや、『正しすぎた人』が出版された後でもその思いは続いており、「本当にこれでよかったのだろうか?」という思いは今も消えていない。

 結果的に、拙著では「1978年、46歳の広岡達朗」と、「2025年、93歳の広岡達朗」について、行きつ戻りつしながら両者を描くことにした。およそ50年前、広岡はスワローズを球団創設初となるリーグ制覇、日本一に導いた。その根底にあったのは、「正しいことを正しい方法で続けていれば、必ず望んだ結果が出る」という広岡の信念だった。

 そして、その信念は93歳となった今でもまったく変わっていない。広岡が自分を律する際に用いる指針は「それは本当に正しいのか、正しくないのか?」という問いかけである。

「2人の広岡達朗」から学んだこと

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 自然の摂理に逆らうことなく、原理原則にのっとって生きていけば人間は幸せになれる——。それが、昔も今も変わらぬ広岡の信念だ。年齢を重ね、かつての「名将」のイメージはかなり薄れた。私の目の前にいるのは、背中を丸め、親しい人の死を嘆いている「老人」だ。それでも、現在の広岡には今の彼にしか持ちえない魅力があった。

 1978年、広岡は46歳だった。2025年、広岡は93歳となっていた。

「93歳の広岡」に、自身の若い頃、「46歳の広岡」について振り返ってもらう。執筆中、私の頭の中にはスワローズのユニフォームを着てスッと立っている精悍な広岡と、「足腰が弱くなったから歩くのが辛い」と、自宅のリビングで終日テレビを見ている小さくなった広岡の姿が、交互に浮かんでは消えていた。

「46歳の広岡」は常に颯爽としていた。難事が降りかかったり、不測の事態に直面したりしても決して動じることなく、理路整然と対処に当たっていた。一方で「93歳の広岡」は耳が遠くなったこと、足腰が弱くなったことを嘆きつつ、何度も、何度も同じ話を繰り返していた。それでも時折、こちらがハッとするようなことをズバリと口にした。

【次ページ】 「人間はいくつになっても勉強だよ」

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