第102回箱根駅伝(2026)BACK NUMBER
「打倒青山学院大学」に向け、箱根駅伝シフトで充実の強化を図ってきた中央大学・藤原正和監督が探す「最良の区間配置」とは
posted2025/12/24 10:01
母校を率いて10年目となる藤原正和監督
text by

生島淳Jun Ikushima
photograph by
Nanae Suzuki
「ようやく胸を張って、優勝を狙えると言えるチームになりました」
全日本大学駅伝を終えて、中央大学の藤原正和監督はそう口にした。
低迷していたチームの指揮を引き受けたのが2016年のこと。丸10年をかけて、総合優勝14回の名門が頂点を狙える位置まで戻ってきた。この「V字回復」の鍵を握ってきたのが、他ならぬ藤原監督だ。
兵庫県の西脇工業高出身。1999年に中大に入学すると、1年生から箱根駅伝5区を走り、いきなり区間賞を獲得。2年生、3年生と継続して5区を走り、4年生では「花の2区」へ。こちらでも区間賞を獲得して、箱根駅伝、そして中大の歴史を彩った。卒業後はHondaに入社し、マラソンの代表として世界陸上も走った。まさに日本を代表するランナーのひとりだった。
「リオデジャネイロ五輪の出場を狙っていましたが故障もあって届かず、そろそろ引退して社業に専念かな……と思っていたタイミングで、中大からお話をいただきました。母校は低迷していましたから、火中の栗を拾うことになるとは思いました。それでも、断るという選択肢はないなと」
2016年4月、監督に就任したが、予想通り前途多難だった。
「監督になることが内定して、まだ会社に籍を置いていた時点でのことですが、ちょっと時間が空いたので練習を見に行ったんです。そしたら緊張感がなくて……。正直、サークルの練習じゃないかと思ってしまいました。これは時間がかかると覚悟しました」
まずはキャプテンを4年生から1年生へと交代させる劇的なマネージメントの転換を図った。そして藤原監督自身が少し前までオリンピックを目指していたランナーだったので、学生の誰よりも速い。一緒にトラックを走りながら、選手たちの背中を押した。
「そんなやさしいものじゃなかった(笑)。もっと速く! みたいな感じでした」
解任覚悟の改革案
1年目は箱根駅伝予選会で敗退し、中大の箱根駅伝連続出場記録は87回でストップした。老舗の看板に傷をつけてしまった──。藤原監督はそんな思いにとらわれた。
「いまでも覚えてます。大学に報告に向かう時に、これでクビになっても仕方がないと考えていました。でも、報告の際には『強くするためにはこれだけのリソースが必要です』『誰が監督をするにしても、これだけの協力をお願いできないでしょうか』など、しっかりとお話しさせていただきました」
そこから大学と手を携えての本格的な強化が始まった。就任6年目の22年にようやく箱根駅伝のシード権を取り戻し(総合6位)、23年は総合2位に躍進した。
藤原監督にとって、残る目標は頂点だけだ。今大会を迎えるにあたって「鍵」となったのは「年間戦略」である。


